治国谷の峠、昔の往還探索〔1754〕2008/02/03
2008年2月3日(日)雨のち晴れ、ぬくいです
今日はお昼前から晴れてきまして、柔らかな日差しが降りそそぐ、穏やかな日曜日の高知市内となりました。ぬくいです。て、言いよりましたら、関東とかはこぢゃんと雪が降りゆうみたいですね、太平洋側でも。ニッポンは広いです。
今朝、早うから、ちくと走りに出ちょりました。横浜の宇津野トンネルのところから南下、瀬戸から春野向いて雨の中を走ります。気温は低うないですきに、しゅっと汗が噴き出てきて心地エイですな。春野は、高知市春野町に今年からなりまして、本日、市会議員選挙の投票日。町内放送で、投票の呼びかけをやりよりました。
こないだ走りに行っちょった「はるのの湯」の所から、本日は北上、治国谷の峠を目指して駆け上がってみました。こないだ、1月20日のにっこりで、この治国谷の峠が一番低うて越えるやすう見えるので、ここが昔の往還と想像したがですけんど、どうやら違うちょりました。この写真は、現在の治国谷の峠の神田トンネル入り口ですけんど、近年このトンネルができるまではずうっと山越えの道路を通りよりました。その道路のコースが昔の往還やと思いよったがですが大間違い。その東、現在おおなろ園という福祉施設のある界隈を通って神田へ下りるがが飛脚も通る往還やったらしいです。こないだ、高知在住のライター渡辺瑠海さん(「田舎暮らしはつらかった」とかの著作で有名)と、市内某所のインドネシアなあやしいお店でお逢いしまして、教えて頂きました。このトンネルの上の峠道は、明治になってできた馬車道やったらしいです。あくまでも、藩政期の往還は龍馬ゆかりの和霊神社のある水谷山からおおなろ園を越えて春野へ下りる道やったそうですな。
で、本日は、この右手の坂道を登っておおなろ園まで駆け上がりました。この坂を登ってしゅっとのくに、消防車やらパトカーやらがどっしこ停まっちょりまして、左手の広い場所がくすりよりました。ここの大きな資材倉庫が、昨夜からずうっと燃えよってやっと鎮火しゆうところに行き当たったがですね。ビックリしました。
その後、おおなろ園から、昔の往還とおぼしき山道を下りよりましたが、道に迷うてとっと西の高新団地の下に出てしまいました。う~ん、残念。今度はキチンと道を調べちょいてたつくらんといかんですな。
雨の朝の山をたつくるがは、なかなか心地良うございました。