浦戸湾の月と金星、ソ連の月面探査計画〔1725〕2008/01/05
2008年1月5日(土)今日も晴れ!
2008年になってから良いお天気が続いちょります。早朝、東の空に、金星と三日月が仲良く並んでキレイに輝きよりました。絵画のように美しゅうございます。
ここは孕から東に突き出す半島の、トンネルの西。最近何度かご紹介した、戦前に高知新聞社の水上飛行機の飛行場と格納庫があった場所。ここから浦戸湾を眺めると、海の上に童話の絵のような三日月と金星。
金星探査については、昨年末に何度かお話をしましたですきに、今日は月探査について。月面探査といえば、そのハイライトは何と言うたちアポロ11号の月面着陸ですね。
が、あの当時、スプートニクとかガガーリンとかテレシコワとかで宇宙開発に先行しちょったソ連も、実は、月面探査をやろうとしよったがです。いかんせん、あの国は組織が複雑で、宇宙開発に際しても派閥間の足の引っ張り合いと政府高官の縄張り争いなどによって、ヒトを月面に送る、というミッションに対しても複数のプロジェクトが動きよったそうです。予算はアポロ計画の数分の一から10分の一とも言われちょりましたので、そんな無駄の多い運営をしよったらアポロにかなう訳がなかったがですな。けんど、現場の技術者の奮闘で、かなりエイ線までいっちょったのは事実。幾度かの打上失敗で、ヒトを月面に送るのはアポロに先行されることがほぼ確実となった1969年、それでは先に月の石や土を無人探査機で持ち帰ろう、てなことになりました。で、ひまわり太郎が小学校の教室のテレビで、アームストロング船長の月面上陸場面に夢中になっちゅうまさにその時、実はソ連は、もうちょっとで無人探査機を月面に着陸させるところまできちょったがです。しかし、山に激突して失敗。
その後、ご存じのように、ソ連は月の無人探査で大きな実績をあげました。いや、アポロとかの報道に比べて小さい扱いやったですき、ご存じ無い方も多いでしょうか。
ところで、ソ連は、アメリカのスペースシャトルと同じようなシャトル計画を実行しよったことはメッソ知られちゃあしませんですね。アメリカのシャトルにそっくりのソ連版シャトルは、機体もつくられて実験飛行も行われよりました。ソ連崩壊、予算の縮減などなどの要因で中止になったそうです。その機体は、格納庫にそのまんま入れられてほったらかしになっちょったそうですが、格納庫が老朽化して倒壊し、その下敷きになったとも言われちょります。が、しかし!
一昨年、ひまわりの乳酸菌をソユーズロケットに乗せるためバイコヌール宇宙基地へ行った私ひまわり太郎は、移動中の車の中から、野ざらしで放置されたシャトルを見た気がします。いや、まさしくそうやったと思います。ロシア、バイコヌール宇宙基地には、米ソの宇宙開発競争の残骸が、無造作にほったらかしになっちょったりするのであります。