昨夜は県営渡船に乗って帰りました〔1691〕2007/12/02
2007年12月2日(日)快晴!
今朝も快晴。これ以上ない、良いお天気ですな。
ここは夜明け前の横浜。高知の横浜。浦戸湾の美しい朝です。横浜、西灘のバス停の所から堤防の外へ下りると、今朝は干潮で、浜が出てきちょりました。その浜へ下りて波打ち際から撮影したのがこの写真。左端が浦戸湾の宝石「玉島」で、ひょっこりひょうたん島が衣ヶ島。その間に、仁井田の造船所のクレーンが見えよります。
11月21日のにっこりで、その前の晩に南国工場から海沿いを走って帰ったお話をしました。
で、時間切れで仁井田まで車で迎えにきてもろうたがですが、昨晩、リベンジして参りました。南国工場から高知空港の下を通るトンネルを抜け、一気に前浜まで南下します。バイパスの南に旧道がありますが、更にその南の海岸通りまで南下して、海岸通りを東進しました。民家も少なく墓地が多い、狭い道路ですが、時折波の音が聞こえる静かな道。暗いので、慎重に走らんといけません。この北に旧道が走り、民家はその旧道沿いに集中しちょります。が、しかし、この海岸に近い道が、大昔は本通りやったがかも知れません。漁業が中心の町やったでしょうき、基本的には浜近くが中心地やったことでしょう。で、その後、北側の砂地が盛り上がった一番高い所に道ができ、家が建って、そちらが本通りになったがかも知れんですな。妄想が膨らみます。
さて、その狭くて暗くて静かな海岸通りを前浜、浜改田、十市と抜けて、三里の旧道を走り、一気に種崎へ。種崎のトン先に、浦戸湾の対岸の御畳瀬(みませ)に渡る県営渡船の乗り場があります。ここまで十数キロの夜のランニング。心地良かったですね。昨夜は最終便に間に合いました。この無料の渡船、たった5分の航海ですけんど、なかなか風情があります。昨夜最終便の乗客は3名。2003年10月26日のにっこりで、まだ小学校低学年やったJr.1号の背中と一緒にご紹介しちょります。
1560年5月26日の夜、長宗我部国親、元親さん父子の軍勢は、この県営渡船の渡る海を小舟で渡って長浜城を攻めたのでありました。元親さん快進撃の原点。船で渡りながら思いを戦国に馳せてみるがも面白いです。