長浜雪蹊寺、戸次川、信親さん、月峰和尚さん〔1635〕2007/10/07
2007年10月7日(日)晴れ後曇り
今日も暑い秋の日曜日になりました。午後は雨になるかも知れん言いよりましたが、ちくと曇った程度で暑い一日やったですな。
高知市の南、鷲尾山のある連山を南へ越えた長浜地区に、高知競馬場があります。昔は桟橋通りにあって、このHPによく投稿して下さるタベシマさんはその界隈に住んじょったということですが、現在は長浜。この競馬場で、本日、「元気な高知の畜産祭り」というのを開催しよりました。高知県牛乳普及協会も参加しちょります。もちろん競馬も開催されよります。
本日競馬場は入場無料で、牛乳餅ばわしやらなにやらたくさんのイベントが行われたがで、こぢゃんと大勢の家族連れで賑わいよりました。競馬場にこんなにお客さんが溢れちょったがは久し振りですね。
お昼、ちくと抜け出して長浜界隈を走ってきました。競馬場の南から新川川(しんかわがわ)沿いに東へ行くと、四国八十八カ所巡りの33番札所「雪蹊寺」があります。今日も大勢のお遍路さんでいっぱい。
実はこのお寺、ただの札所というだけではなく、歴史的にこぢゃんと重要な役割を果たしてきたお寺ながです。弘法大師開基ですけんど、紆余曲折を経て戦国時代に月峰和尚さんによって臨済宗に改宗、長宗我部元親さんの菩提寺となりました。
元親さん、四国平定後、秀吉に下って土佐一国を安堵されました。で、秀吉の九州征伐に出陣し、仙石秀久というこぢゃんと情けない武将の陰謀めいた敵前逃亡によって大敗を喫し、嫡男信親さんを喪うたのであります。豊後の国、戸次川(へつぎがわ)の戦いですな。この戦いで、土佐の武士がたくさん犠牲になっちょりますが、その戦没者の名前を書いた札が、ここ雪蹊寺に掲げられちゅうとか。現代の高知を代表する名家入交家のご先祖様も、戸次川でやられてここ雪蹊寺に名前が残っちゅうそうですね。
写真は、お寺本堂の裏手。中央の塔が、その戸次川戦没者の供養塔。お寺正面の賑やかさに比して、ここはヒトの姿もなくひっそりしちょります。供養塔の左には、悲劇の武将長宗我部信親さんの墓所がありました。
そして、右手には月峰和尚の墓所が。
なんどか、このにっこりでも浦戸一揆の話をしました。関ヶ原の合戦後、土佐一国を与えられた山内氏が土佐へ入国してくる際に、長宗我部氏の家臣達が浦戸の浜で抵抗し、武力で入国を拒もうとした事件。長宗我部や土佐の将来を思い、雪蹊寺の月峰和尚さんが間に入って話し合いを行わせ、一豊さんの入国へと進んで行ったのでありました。
そう言えばこのしゅっと近くに戸ノ本古戦場跡というのがあります。長宗我部元親さん初陣の合戦跡。ここで本山氏を破り、破竹の勢いで土佐を、四国を統一していった、その記念すべき場所がこの西の戸ノ本。またの機会にご紹介しましょう。