美しい物部川、鏡のような川でした〔1590〕2007/08/23
2007年8月23日(木)晴れ!今日も暑い!
昨夜、夕立のような雨が高知市内を通り過ぎていきました。ひと雨降ると、街に涼しい風が吹き抜けてだいぶ違いますな。とは言え、今日もまたまた暑い一日になる予報。嬉しいことです。
ここは今朝の物部川。南国工場沿いの堤防から撮影してみました。向こうに三宝山が見えよります。あのてっぺんにあったスカイレストや西洋風お城の形をした資料館、今でも廃墟になったままあるがですね。敷地には入れんなっちょりますが。よく、県外の方とかに、あの山頂の不思議なオブジェは何ですか?と尋ねられたりします。
川の水、濁りが消えてきれいになりました。こないだうち、鮎の友釣りをしゆうヒトもおりましたね。が、しかし、物部川漁協さんのホームページによりますれば、濁りが消えた後はダムが水量を落とした水量減少による水温上昇で、コトウちゅうそうです。高温に弱い鮎が「どよう隠れ」状態になって友釣りでも追わんなるがやそうですね。史上最悪の危機が訪れちゅう物部川。人間のやったことのツケが廻ってきゆうがですな。
ひまわり太郎は、いつも高知市内の鏡川をたつくりゆうがは皆さんご存じの通りですが、この物部川も、「鏡川」と呼ばれよったことがあるらしいのであります。藩政期中頃の安養寺禾麿さんという学者さんが書いた、土佐の神社の由来とか郡名、郷名の由来とかを調べてまとめた「土佐幽考」という本があります。その中に「鏡川 在香美郡山田郷楠目村東」と書かれちゅうそうで、山田の楠目の東と言えば、どう考えても物部川のことらしいがですね。高知市内を流れる鏡川は、元禄年間に土佐藩五代藩主山内豊房さんが命名したという説が有力ですが、物部川も、鏡のように風景を写して美しい川、ということで鏡川と呼ばれた流域や時代があったとしても、不思議ぢゃあないですね。その鏡のように美しかった物部川。鮎の宝庫であった物部川に、はよう戻しちゃることが人類としての責任でしょう。