丸亀城は美しく輝きよりました〔1577〕2007/08/10
2007年8月10日(こぢゃんと暑いよさこい日和
今日から高知はよさこい。町中を大音響とカラフルな衣装と老若男女のエネルギーがほとばしる2日間のスタートです。とは言え、ひまわり太郎、いんまさっき汽車に乗って高知へモンて来たばっかし。高知駅から会社へ、路面電車に乗って帰ったがですが、色んな衣装を着た踊り子さんがいっぱいで楽しかったです。
そんな訳で今朝は丸亀でした。丸亀と言えば丸亀城。早朝、丸亀城界隈をたつくりまわってきたのであります。
このお城は、元々は、室町時代、坂出と宇多津の間にある聖通寺城の支城として管領細川氏の四天王の一人奈良氏によってつくられた、とのこと。
お城というよりは、砦みたいなもんやったがでしょう。聖通寺城の奈良氏は、1583年に長宗我部元親さんに攻略されましたので、この支城も陥とされたことでしょう。その後、1597年に、生駒氏によって立派なお城が築かれますが、1615年の一国一城令によって廃城となりました。1641年、天草からやって来た山崎氏によって再建されました。現在の天守閣はそのときのもの。で、山崎氏が跡継ぎが途絶えてお取りつぶしになった後、播州龍野から京極氏がやって来て、幕末まで続いたのでありました。
この京極氏、南北朝の時代に活躍した婆娑羅大名佐々木道誉さんの子孫。周囲とは変わった格好をして変わったことをやる、それでいて格調は高い、そんなヒトは婆娑羅者と呼ばれましたが、その代表選手は誰が何と言うたち佐々木道誉さん。間違いないですな。昔むか~し読んだ吉川英治さんの名作「私本太平記」でも、こぢゃんとエイ味出しちょりました。
で、丸亀市では、8月の下旬に「婆娑羅まつり」というがをやりゆうそうです。ポスターがいっぱい張っちゃありました。何でも、ダンスパフォーマンスとかで盛り上がるお祭りみたいですね。
けんどまあ、何でもありの婆娑羅なお祭りの原点と言えばやっぱし「よさこい」でしょう。今日明日はお祭り一色の高知市内でございます。