山内神社の燈籠、御親兵、廃藩置県〔1555〕2007/07/19
2007年7月19日(木)晴れちょります
今日は高知。久々に、鏡川沿いに鎮座する山内神社界隈をたつくってみました。この神社は土佐山内家十六代藩主山内豊範さんによって明治4年に建立されちょりまして、その後色んな曲折を経、現在は初代山内一豊さんとその妻から、十六代豊範さんまでのすべての藩主をお祀るりする神社になっちょります。
元々、一豊さんとその妻、二代藩主忠義さんは、高知城のしゅっと横にある藤並神社にお祀りされちょりましたが、昭和45年に、すべてここに合祀されて現在のかたちになりました。この山内神社には、たくさんの立派な燈籠がございます。
この、写真右手のものは、明治4年4月に寄進されこりますきに、この山内神社ができてしゅっとの完成。寄進したのは「御親兵第一大隊第四小隊」の隊員の皆さん。
鏡川の河口近く、九反田に、東九反田公園というのがあります。昔、土佐藩の「開成館」とかがあった歴史的な場所。で、そこで、明治4年1月に、維新の元勲西郷隆盛さん、大久保利通さん。木戸孝允さん達が廃藩置県についての打ち合わせをしちょります。その際に、高知藩知事の山内豊範さんに、廃藩置県断行によって各地で反乱が起きる可能性があるので明治政府の軍事力強化のために「御親兵」を献上して欲しい、と依頼がありました。新政府重鎮の皆さんの依頼で、板垣退助さんも関わっちょりますので、豊範さんは同意、二月に隊を編成して6月に上京、そして、7月14日に廃藩置県令が発せられたという経緯になるのであります。
この燈籠が、その御親兵の隊員さんたちからご寄進されたのは4月ですきに、上京するちょっと前。その任務の重大さに鑑み、歴代藩主に任務完遂と安全を祈願したということが想像されます。