土佐清水の港をたつくりました〔1556〕2007/07/20
2007年7月20日(金)降ったり曇ったり
今年の梅雨最後の雨が、高知県内を潤しよります。
今朝は、高知県西南端に位置する土佐清水市の旅館で目覚めました。古い漁師町で、漁師のおんちゃんや宗田節を作りゆうおにいちゃん達が元気な街です。ここは、清水の町からちっくと足摺岬寄りに走ってきた海岸。向こうに清水の町が見えよります。この左手へ進むと太平洋。ジョン万次郎さんの生まれた中ノ浜は、その沿岸にあります。ここから少しだけ岬寄りの、湾の奥まったところに小さな小さな島がありました。「唐船島」という島。
1468年、京の応仁の乱を避けて土佐へ下向してきた前関白一条教房さんは、中村に御殿を構えて土佐西南部を支配しました。何故こんな地の果てまでやって来たかと言えば、この界隈が遣明船の前線基地になっちょって、貿易による莫大な利益が見込めたから、というのは定説になっちょります。この清水の港も、地元の豪族加久見氏が、一条氏の統治の下で貿易に勤しんだ港。加久見氏は、一条教房に娘を嫁入りさせ、生まれた子供が土佐一条家初代の一条房家さん、というこぢゃんと重要な家柄。
唐船島は、その当時の明や南西諸島との貿易に由来する島名ながでしょう。その界隈には、「御古倉」「カジ山」「大イカリ谷」「小イカリ谷」などの地名が残り、往時を偲ばせてくれます。
写真右端に写っちゅう小山は、鹿嶋神社の森。1473年に常陸の鹿嶋神社から勧請されて来たお宮さんと言いますき、一条さん下向との関連もありそうな年代ですね。地元では由緒ある神社として尊崇されてきたことでしょう。お参りして来ましたが、なかなか幽玄で美しかったです。こないだの土佐久礼の八幡宮もそうでしたが、海に向かって鳥居が立っちょります。漁師町では当たり前のことながでしょうね。