大津の白太夫神社〔1525〕2007/06/19
2007年6月19日(火)曇ったり降ったり日が照ったり
今日は朝から曇ったり降ったり日が照ったりというヤヤコシイお天気になっちょります。まあまあ蒸せます。さっきまで晴れちょって突然ガイに雨が降ったりするので、ボッタリショと濡れて自転車をこぎゆうヒトもたくさん居りました。
さて、今まで、このにっこりで何度も何度もご紹介した神社に、潮江天満宮の境内社「白太夫社」があります。ご存知、菅原道真公の忠臣で、太宰府で道真公が失意のうちに逝去された際、その遺品を持って、土佐に左遷されちょった道真公のご長男菅原高視さんの所へ届けにやって来た松本春彦(白太夫)さんを祀ったお社が白太夫社。
潮江天満宮境内にも祀られちょりますが、元々はここ、大津。白太夫さんは、高視さんの待つ高知市潮江まであと数kmという、ここ大津雲門寺までやって来て、宿泊します。そして翌日、にわかにそこで病没してしまいました。その無念の気持ちを鎮めるため、後世の人たちが、没した場所に「白太夫神社」を建て、お祀りするようになったそうです。
電車通り沿いに鳥居があり、それをくぐってご覧の坂道を30mくらい上ると白太夫神社。神社手前に、右手の山の方へ登る山道があり、それを登っていくと松本白太夫さんのお墓もございます。
この大津地区、実は史跡の宝庫。この西には紀貫之さん船出の地や鹿児神社、この山には堺事件関係者の方の墓所、修験道の石子詰めの跡、ここから東には長宗我部国親(元親さんの父上)さんに滅ぼされた天竺右近花氏さんの大津城跡や一条氏の大津御所跡などなど。そして、ここから北へ行った田辺島には、長宗我部の重臣で「福留の荒斬り」で有名な福留隼人さんを祀った隼人神社があります。
一番有名な荒斬りは、上記の、天竺右近花氏を大津城に破った際のもの。天竺氏の他に、中村の一条氏や安芸の安芸氏からの援軍もまとめて相手にせんといかんなった長宗我部国親軍。そこで猛将福留隼人は「我は荒斬りして通るゆえ、後より来たる者は小切りせよ」と叫んで突撃、大活躍したというお話。雰囲気、何となくわかりますね。