要法寺、国沢城、豚太郎〔1526〕2007/06/20
2007年6月20日(水)曇っちょります
ここは高知市、堀詰から南へ下った所。道路中央の植え込みが近年整備されて、ハクモクレンの緑の葉っぱが生い茂っちょります。この右手は現在が堺町の一角ですが、以前は要法寺町と呼ばれ、堺町と区別されちょりました。
堺町はご承知の通り、藩政期初期に泉州堺の呉服商がここへやって来て、呉服商いをやりよったことにちなむ町名です。要法寺町は、山内一豊さんが土佐へ入国してきた際に、山内家菩提寺日蓮宗要法寺をここに置いたことに由来します。要法寺は、現在は筆山の麓にありますが、これは1687年に、ここにあった要法寺が火災で焼失し、そちらに再建されたため。
焼失の跡地は町場となりましたが、それから300年間も、要法寺町という名称は残ったということになります。ひまわり太郎が子供の頃、ここにラーメンの豚太郎要法寺店というにができて、生まれて初めてみそラーメンとか塩ラーメンとかを食べました。感動したですね。近所やったですきに、ビッシリ食べに来たもんです。
ところで要法寺が建立された場所には、戦国時代には国沢城というお城があり、この辺りの広いエリアが国沢村と呼ばれよったそうです。国沢氏の居城でしたが、長宗我部氏に攻められて元親さんの支配下に組み入れられました。高知城のある大高坂山には大高坂氏が居りましたが、ここも元親さん支配下に。そして、朝倉城の本山茂辰さんと、土佐の戦国決勝戦に突入していったのでありました。