天神大橋の栴檀、唐人町、豆腐屋、紺屋〔1486〕2007/05/11
007年5月11日(金)晴れ!
ちょっと涼しい爽やかな朝。五月晴れですな。
こないだうちから、天神大橋界隈の栴檀の花をご紹介しよります。接写にてのご紹介でしたので、今朝は樹全体がわかるように撮影してみました。「薄紫の雲がかかったような」という表現をしましたが、そんな感じでしょ?
今、丁度満開を迎えちゅう、天神大橋北詰の栴檀です。赤い欄干と緑の樹々と薄紫の栴檀の花が美しゅうございます。
この川沿いは唐人町。ここから西へ、現在のスクエア・フロントという建物が立つ所までの川沿いに、寛政4年(1792年)の住宅地図では6軒の豆腐屋さんがあります。
その他に同じく6軒の紺屋さん、1軒の樽屋さん、同じく1軒の丁子屋さん、あと、田村屋さんと戎屋さんという、何屋さんか不明の家がありますね。
この栴檀の木の北側に見える家が「丁子屋利兵衛」さんです。「丁子(ちょうじ)」は釘の意味ですきに、釘屋さんやったがでしょうか。が、丁子は家紋なんぞにもかなり使われるので、釘屋さんとは関係ない商売で、家紋から屋号が付いちゅう可能性もありますね。
この天神大橋から東の川沿いも唐人町で、こちらの方は、もう圧倒的に豆腐屋さんが多いですな。8割は豆腐屋さん。天神大橋から西には紺屋さんが結構多いのが意外でした。鏡川の水を利用した紺屋さんやったがでしょう。お城下で紺屋さんが多いのは、ここ西唐人町と、同じく水の利用が簡単な水通町。中種の北に、ご存知「紺屋町」がありますが、ここには「紺屋」というお店はありません。「土種屋」とか「大阪屋」とかの屋号で、大きなお店が並んじょります。つまり「紺屋」は、紺屋の職人さんのことで、紺屋町の大きなお店は、それを販売する大店やったということが推測されます。そう言えば紺屋町には利用できそうな水路とか無いですもんね。なるほど。