八軒町公園、満開の桜と満開のツツジ〔1449〕2007/04/04
2007年4月4日(水)春爛漫!
今日は、風はちっくと冷たいですが、春らしいお天気の高知市内です。東京あたりでは、もう桜も終わろうとしゆうみたいですが、高知では今が盛り。夕べも帰りがけに通った堀川では楽しそうな花見の宴が繰り広げられよりました。
ここは市内の八軒町。武士の住む郭中でも、上級の武士が住みよった町でございます。高知城の南、鏡川の北で、元々鏡川の中洲やったがを堤防で囲うた土地。左右を池に挟まれちょりました。狭い区画で、八軒の武家屋敷しかなかったことから八軒町。本当に八軒か、検証してみましょう。
手元に寛文9年(1669年)の郭中住居表示図があります。これを見るとまさしく八軒。道の南側に、東から武藤さん、安積さん、服部さん、谷川さん。北側は東から大崎さん、馬場さん、佐藤さん、松吉さんの、合計8軒。次に、その132年後の住居表示図を見てみましょう。亨和元年(1801年)ですね。南側は東から落合さん、佐々木さん、岡田さん、寺村さん、長谷川さんの5軒。北側が林さん、今枝さん、前野さん、五藤さんの4軒で合計9軒。この時代には、実際は九軒町になっちょったことが判ります。その66年後、1867年という幕末の図では、南側が落合さん、佐々木さん、関さん、寺村さん、渋谷さんで、北側が林さん、今枝さん、前野さん、五藤さん。66年前と殆ど変わっちょりませんね。初期の132年間で、すべての家が入れ替わっちょったのを見ますと、当時の上級武士社会の様子を想像することができますな。家老、中老に次ぐ身分の御馬廻という武士が住む八軒町。
で、この、子供の頃のひまわり太郎が隣の南与力町からビッシリ遠征して来よった、八軒町公園。ここの桜は今が満開。美しく咲き誇る満開の桜。その隣に、何とこれまた満開のツツジ。満開の桜と満開のツツジが並んで咲くという、不思議な目眩のしそうな景色を見てしまいました。春の八軒町公園です。