3年ぶり、中村四ヶ村溝の水車〔1450〕2007/04/05
007年4月5日(木)中村はキレイに晴れちょう
今朝は久々に中村。市町村合併で西土佐村と一緒になり、四万十市という名前になりましたが、今ひとつピンときませんな。やっぱし中村は中村。昨日の午後、やって参りました。中村駅(この名称もいつまで残るがでしょうかね)前に泊まっちょりましたので、駅の東の後川の堤防をたつくりに行っちょりました。
まだ、あの鏡川流域駅伝後遺症で膝がちっくと痛むので、あんまり無理をせず、ゆっくりゆっくり5kmくらい走ってきました。
ここは中村市の北部、安並にある「四ヶ村溝の水車」。2004年4月8日のにっこりでもご紹介しました、農村の風情溢れる水車群が、ここにあります。丁度3年ぶり。
この水路は、野中兼山さんがこの界隈4ヶ村の農地を灌漑するためにこさえたもので、当時から田んぼに水を引く水車がどっしこあったとか。現在も、灌漑用ではないにしいてもたくさん残っちょりまして、素敵な観光スポットになっちゅうがです。紫陽花の頃は、それはそれは見事らしいですね。
向こうの山の上にお城らしきものが見えます。幡多郷土資料館の建物。あの山には中世の頃、為松城という、地元の豪族為松氏の居城がありました。応仁の乱の後、京より下ってきた大貴族一条氏のお城になり、為松氏は家老に。一条氏が政治を行ったのは、山の麓からちくと東へ行った小山の御所。現在一条神社の鎮座ましましちゅう所ながですが、この山にお城を築き、戦国大名らしいところを見せちょりました。あの郷土資料館の立つ場所は、そのお城の二の丸のあった場所らしいです。あの山の上は「為松公園」として整備されちょりまして、桜の名所。今、満開の桜が見事。今朝はそこへ駆け上がっても良かったがですけんど、膝に無理をかけたらいかんので、この長閑な水車の風景をお届けすることにしました。