潮江天満宮の楼門、彫刻が見事です〔1448〕2007/04/03
2007年4月3日(火)朝は曇っちょったけんど昼から晴れ!
今朝は曇っちょりましたが、お昼が近づくにつれてお日様が顔をのぞかせ始め、あたたかい一日になりました。今、南国工場でこのにっこりを書きよりますが、工場周辺の田んぼは、もう田植えの済んだ所が多くなってきました。今日はちっくと風がありますきに、緑色の小さな苗が風にはためいてきれいです。
昨夜、鏡川沿いの桜の名所、築屋敷(つきやしき)界隈をたつくってみました。約5km。こないだの強烈なダメージを受けた鏡川流域駅伝が終わって、初めて走ってみたのであります。ゆっくりゆっくり恐る恐る。
石立八幡宮の石段も、ゆっくりと駆け上がってみました。筋肉は、下りはちっくとキツイですが、だいぶ回復してきて喜んじょります。けんど、右ひざがちょっと痛いですきに、あんまし急に無理はせられんですな。ともあれ、久々に走れて、こぢゃんと心地良かったです。
さてさて、写真は、今朝の潮江天満宮。2005年5月6日のにっこりでも詳しゅうにご紹介しちょります、立派な楼門です。くぐりながら上を見上げると、ご覧のような、迫力満点のそれはそれは見事な彫刻を見ることができます。悪霊や、災厄を退散させるような、こぢゃんと強そうで怖そうな彫刻でございますきに、潮江天満宮へ行く機会がございましたら一度見上げてみて下さい。見上げてみんと、気付かずに通り過ぎてしまいます。
この楼門は嘉永6年(1853年)に創られ、明治35年の修築を経て現在に至っちゅう、この天満宮で一番古い建物。この彫刻は、明治末期の土佐の偉大な彫刻家として有名な島村三四郎さんの手によるものらしいです。すごいですね、この迫力。楼門全体にこれでもか、というくらい掘り込まれた彫刻は、見上げる者を圧倒します。最初に作られた嘉永6年と言えば、ペリーさんが浦賀へやって来た年ですな。風雲急を告げてくる時代ですが、ここ土佐は、まだ激動の時代前夜で、静かやったことでしょう。翌年の年末、安政の南海地震が土佐を襲いました。この楼門、二度の南海地震と戦争をくぐり抜けて、ここ市内中心部近くに、静かにたたずんできたのであります。