堀川の桜、オガクズの話〔1441〕2007/03/27
2007年3月27日(火)曇っちょります
この23日に高知市内では桜の開花宣言があった訳ですが、まだ市内の桜はヒトッチャア満開になっちょりません。桜の名所堀川で、今朝、目を凝らして見てみましたところ、全然咲いてない樹もありますが、二つ三つ花が咲き始めちゅう樹もありました。今週末がお花見ポイントでしょうかね。
この写真は、24日のにっこりで右端に写っちゅう桜の樹です。大きな桜の樹ですが、花が咲いちゅうのはこの枝ともう一カ所だけで、やっと咲き始めた、てな感じですね。
こないだのにっこりにも書きましたが、この堀川は、藩政期、三ツ頭堀とも呼ばれよって、この北岸は農人町。
川沿いには足軽とかが住み、北の裏町に、殿様たちに農産物を供給するために住まわされたお百姓さん達の家がありました。今、手元に寛政4年(1792年)の、城下の町屋図があります。それを見ますと、この北岸の川沿いには足軽屋敷の他、たくさんの職人さんや商人さんも住みよったことがわかります。米屋銀六さんとか髪結市策さんとか魚屋勘作さんとか魚買弥助さんとか大工利平さんとか鍛冶與六さんとか鍛冶安兵衛さんとか。大工さんと鍛冶屋さんが結構多いですね。菜園場の所には木屋與右衛門出店とありますきに、現在の木屋橋の由来はこのお店でしょうか。この写真の桜から西へちょっと行った所に大鋸屋(おがや)橋という橋が堀川に架かっちょります。この町屋図には「大鋸屋」さんはないですが、大鋸引曽右衛門さんとか大鋸引忠左衛門さんとか大鋸引重六さんとかが住みよります。大鋸屋橋から西へ行った四ツ橋で、堀川(縦堀)は横堀(新堀川)と交差します。横堀へ北上していくと材木町。貯木場があった訳で、大鋸引とは、その製材関係のお仕事の方やったがやないかと想像しました。この界隈には「大鋸引」という職業のヒトがどっしこ住んじょりますね。その製材の元締めみたいな店が「大鋸屋」さんやったがでしょうかね。色々と想像が膨らみます。
今、迂闊にも突然気付きました。木を切った後の屑のことをオガクズと言いますね。あれ、「大鋸屑」ながですね。大鋸引(おがびき)という職業があり、材木を大きな鋸で二人掛かりで引く。そしてそこで出て来た木屑が「大鋸屑」。う~ん、今までそんな由来知らんかったです。今、書きながら突然気付いてしまいました。日々発見があるにっこりひまわりですな。