鏡川の沈下橋はここに架かっちょりました〔1390〕2007/02/04
2007年2月4日(日)快晴!
今日も快晴。こぢゃんとぬくい、過ごしやすい日曜日となりました。行楽日和ということもありまして、色んな所へ出掛けられた方も多かったがぢゃあないでしょうか。
今日の月齢は16。で、潮の具合は「大潮」。満干の差が大きい「大潮」。そんな訳で、今日のお昼過ぎに時間をつくりまして、Jr.1号2号と一緒に鏡川界隈をたつくってきました。ここは、柳原橋のちっくと上流の北岸。潮が引いて、いつもは川の中に沈んじゅう川底や様々なオブジェが姿を現しちょります。で、ここ、判りますでしょうか。
昔、昭和52年まで沈下橋のあったところです。何度もこのにっこりでご紹介しちょりますね。昭和2年、高知市の土木技師吉岡さんの発案で、高知市の土木課長にして「昭和の百々越前」と呼ばれた高知の町づくりの父、清水さんの尽力によってつくられた、日本で最初の沈下橋が、ここに架かっちょりました。この沈下橋をモデルにして、全国に、増水した際には川に沈む橋がつくられ始めたのです。今、観光名所になっちゅう四万十川のたくさんの沈下橋も、ここの沈下橋がお手本やったという訳です。ここの沈下橋は昭和52年7月に取り壊されましたが、現在でもその痕跡を見ることができます。今日のように潮が引いた際には、このように橋の残骸が向こう岸までつながって、身の軽いヒトなら飛び渡って行けるのであります。
前にも書きましたが、天神大橋近くで貸しボートを借りて、上流はこの沈下橋まで漕いで来よりました。こっから上流はちっくと浅うなっちょって、底を擦るのでありました。ここに沈下橋のあった光景は、今でもしっかりと瞼に焼き付いちょります。
ネットで「鏡川 沈下橋」とかで検索してみますと、昔、ここに沈下橋があった頃の風景写真の載ったページとかが出て来ますので、ご覧になってみてください。懐かしいです。