丸亀城の天守閣、山北八幡神社〔1373〕2007/01/18
2007年1月18日(木)丸亀は晴れ!
そんな訳で今朝は香川県は丸亀。うどんの美味しい丸亀。ですが、昨夜は丸亀に来るといっつも行くことになっちゅうホルモン屋さんで美味しいお肉を食べて来ました。今朝は早朝起きだして、まずは丸亀城を一気に駆け上がります。標高66mではありますが、坂道が急で程よい汗をかくことができます。高知城と同じく日本国内に現存する12天守のうちの一つですが、この天守閣の方がちくと古うございまして、四国最古といわれます。写真がそのライトアップされた天守閣で、小振りですが均整の取れた趣きです。
今朝はここから南へ下り、そのまま真っ直ぐ南へ走ってみました。しばらく行くと山北町という町名がありまして、山北八幡神社という由緒ありげな八幡様が現れました。
八幡様ですきに、応神天皇とかがご祭神ながですが、由緒書きによりますれば、元々は「船山に鎮座ありて船山大明神と奉称せられしが、船山後に亀山と称せらるるに至り。」ということで写真の丸亀城の建つ山、亀山、往古は船の神様として尊崇されちょって船山と呼ばれた山に鎮座されちょったことが判ります。他にも、悲劇の天皇祟徳天皇にまつわるお宮さんが亀山の北にあり、山北八幡宮と呼ばれ、後に現在の場所に遷座されたという説もあるそうです。
いずれにしてもですね、この丸亀城天守のちょっと北側にあったので「山北」。それが、1602年に生駒氏がやってきてこの場所に築城したので、山の南の現在の場所に遷座されたがですね。ほんで、山の南にあっても山北八幡神社で、山北町ということになっちゅう訳です。ややこしいですな。
江戸時代の講談で、仇討ち物で有名になった「田宮坊太郎」の仇討ち譚というのがあります。詳しい話は省略しますが、その仇討ちの現場となったのが、その山北八幡宮の境内と言われちゅうそうですね。丸亀市の観光ガイドマップに書いちょりました。
今朝は山北八幡神社から土器川沿いまで出て、川沿いを下って戻ってきました。