松渕川公園、高知座、広栄座、陽暉楼〔1365〕2007/01/10
2007年1月10日(水)今日も快晴!
今日も良いお天気の高知市内。写真は、ひまわり乳業本社北側にある「松渕川公園」の今朝の夜明け前です。近年キレイに模様替えがおこなわれて、ご覧のようになった松渕川公園。ひまわり太郎が、子供の頃一番遊んだ松渕川公園。改修前からあるのはこの大きな栴檀の木と、その向こうの銀杏の木など。遊具や地形がだいぶ変わりました。写真右手の向こう側にはコンクリートでつくった小山があり、その山の向こうにブーメラン型のコンクリートのベンチがあって、山で視界が遮られるので、よくアベックが座ったりしよったですね。正面、ブランコのところにはコンクリートで作られた3両の客車のある汽車がありました。その向こうが砂場。
松渕川公園というのは、この公園の南を、堀川からつながる小さな川「松渕川」が流れよったきです。
さて、明治26年の、かの河田小龍さんが作成した高知市街地図を見ますと、この公園の西半分くらいのところに「シバイゴヤ」と書かれちょります。そうですね、ここには「高知座」という芝居小屋があったそうで、高知でも有数の劇場として栄えたがやそうです。高知座というのは、明治5年に玉水新地にできた「広栄座」という劇場が、明治19年にここ中島町へ移転してきて名前を改めたもの。明治5年と言いますきに、高知の劇場のハシリ。当時の劇場は、演劇だけぢゃのうて、自由民権運動などの演説会場ともなったので、今考えるよりずっと重要な施設やった訳です。
こないだから出て来る、映画でも有名な「陽暉楼(ようきろう)」は松岡寅八さんという方が楼主です。「松岡寅八伝」によりますれば、この広栄座で、明治5年、大阪大芝居の尾上多見蔵一座が40日間の興行をおこない、こぢゃんと大当たりしました。で、そこで弁当鮓を売って大儲けしたのが松岡寅八さんで、そこで儲けた資金を元手にして、中央にもその名を轟かせた「陽暉楼」の威容をつくりあげたがやそうですね。