青柳橋は国分川に架かる橋〔1340〕2006/12/16
2006年12月16日(土)晴れ!
今日も晴れました。が、晩かたから雨が降りそうな予報の高知市内です。
ここは今朝の青柳橋。明治5年に、高知のお街から五台山の竹林寺や吸江寺へお参りするがに便利なように架けられたという橋です。当時の橋としてはかなり長かったことでしょう。橋の袂に大きな柳の木があったことから「青柳橋」らしいです。鏡川の雁切橋が、この青柳橋に対抗して、橋の袂にあった紅葉にちなんで紅葉橋になったお話は、だいぶ前のにっこりでやりました。この写真は、若松町側から五台山向いて撮ったもの。鉄塔が2本立つ山が五台山。
で、この橋の欄干に「国分川」と書かれちゅうがは前から知っちょりましたが、なんとなく違和感がありました。この広さから言うて、ここはもう浦戸湾ぢゃお、という思いがあったきです。ところが、古い、弘化台の埋め立てが無い頃の地図を見てみると、なるほど、ここまでが国分川というがが判ります。丁度、この青柳橋が浦戸湾と国分川の境界。久万川とか舟入川は国分川へ流れ込む支流ということになります。この、ひまわり太郎が立っちゅう場所から東を見ると、そこが鏡川の河口で浦戸湾との境目。
何でここが浦戸湾に見えるかというと、弘化台がマギっちゅうきですね。弘化台がここにドーンっと居座っちゅうせいで、ここで鏡川と国分川が合流して急に広うなっちゅうがが判らんなっちゅうがです。イメージを膨らませてみて、頭の中で弘化台を取っ払うてみたらわかります。久万川や舟入川の水を集めて大きくなった国分川と、市内を通って流れて来る鏡川がここで合流、浦戸湾になる、ということです。青柳橋に「国分川」と書かれちゅうがも、それで合点がいきました。