12月14日は赤穂浪士ですね〔1338〕2006/12/14
2006年12月14日(木)曇ったり降ったり
今朝もぬくい高知市内です。
時に元禄15年12月14日江戸の夜風を震わせて、響くは山家流儀の陣太鼓しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり、耳を澄ませて太鼓を数え、おう、まさしく赤穂浪士のうちいりぢゃあ、助太刀するはこの時ぞ、もしやその中に、昼間別れたあのそば屋は居りませぬか名前は何と今ひとたび、聴いて別れを告げたい・・・・
て、これはひまわり太郎が学生時代から暗記しちゅう、三波春夫大先生の長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」の一説。自慢ぢゃありませんが、最後までソラでいけます。
そんな訳で毎年12月14日になるとこの歌を思い出すのでありますが、旧暦の話ですきに、今で言えば1月の終わり頃のお話。雪が降りよったそうです。
雪を蹴立ててサーク、サーク、アサークサークサークサーク 先生! おう、そば屋か~!
という、この曲のクライマックスで、雪が降る情景を見事に描いちょります。新暦の12月14日の高知は、特に今年は、かなりぬくい朝を迎えちょりますな、まこと。早朝の潮江橋からはりまや橋方面を眺めてみました。この時間、桟橋車庫を出発した電車がどっしこ走り抜けていきます。
このところご紹介しゆう「四国四都」という本で、1801年の高知市街の地図が紹介されちょりまして、郭中の南に「潮江大橋」というのが見えます。これは、当たり前の話ですが今の天神大橋。潮江山の方へ渡る橋やったので、色んな呼び名がありました。天神橋、真如寺橋、潮江橋などなど。藩政期、街中の鏡川に架かる唯一の橋が天神橋やったことは自明の理。ところが、この本の地図の解説に「潮江大橋が描かれているが、現在の橋より700m程西である」」などと書かれちょります。これは現在の潮江橋のことを言おうとしちゅうがでしょう。こりゃあ、地元のヒトの文章ぢゃあないですね。地元のヒトやったら、「潮江大橋と書かれているのは、現在の天神大橋のこと」と書くろうきね。まあ、どうぢゃちメッソかわらんですろうけんど。