弘化台と工科大と砲台〔1337〕2006/12/13
2006年12月13日(水)小雨模様
今朝の高知市内は小雨が降りそぼりよります。冷ようはないですね。今、高知市内の紅葉はやっと終盤に入りかけ、銀杏の葉っぱがあちらこちらの道路で舞いゆうががキレイです。今日は雨ですきに、葉っぱのお掃除が大変ですね。
さて、今朝は夜明け前の浦戸湾。鏡川河口の鏡川大橋の上から東向いての撮影。左の遠くに五台山の影が見えます。手前左の灯りは中の島の棒堤で、右端は新田。正面には弘化台。中央卸売市場や、市場関連の会社が並ぶ埋め立て地。ひまわり太郎が子供の頃にできましたが、それまではコンマイ島でした、弘化台は。
こないだ歴民館で買うた「四国四都」という本によりますと、弘化台は、弘化年間(1844年~1848年)に砲台がつくられたので弘化台と言うそうです。う~ん、目的は何の砲台やったがでしょう。ペリーさんが浦賀へ黒船でやって来たがは1853年。東京のお台場とかには、それから砲台が築かれかました。けんど、弘化台はそれより大分前。土佐では天保の庄屋同盟があった後ですきに、異国相手の砲台ではないでしょうな。
ところで弘化台はコウカダイと読みます。高知にはもう一つコウカダイだありますね。もちろん高知工科大学のこと。工科大ができた頃、空港でタクシーに乗って「コウカダイまでお願いします」と言うたところ、この弘化台の市場まで連れて来られたという有名な逸話もあります。今でこそ「工科大」も一般的になりましたが、当時はコウカダイと言うたら当然弘化台やったがです。発音は厳然と違いますきに、よう聞いたら判りますね。工科大のダイの部分はカの高さから殆ど変わらず、下がってもナダラかにほんのちょびっと。弘化台は、ダイの部分がグッと下がります。
これから年の瀬に向かい、お正月の買い物に弘化台へ行かれる方も多いと思いますが、タクシーで行く場合はイントネーションに気を付けて下さい。