夜明け前の桟橋通〔1336〕2006/12/12
2006年12月12日(火)曇りでちびっとだけ雨
今朝はちょっとだけ雨が降りよります。そんなに冷ようないです。曇っちゅうので、いつもより夜明けが遅かったですね。
ここはいつもの鏡川、潮江橋南詰から桟橋通方面を撮影したもの。まだ真っ暗い早朝ですが、電車は動き始めちょります。正面の一番明るい灯りが、梅ノ辻交差点を通過する土佐電鉄の電車。ここから橋に向うて上ってきます。この桟橋通、梅ノ辻からまっすぐの直線で高知港につながっちょります。このまままっすぐ行って突き当たりが桟橋。今のフェリー桟橋とかは突き当たりを左折して少し行った岸壁ですが、その当時の桟橋は、丁度電車の突き当たりのところにありました。
手元には、明治26年に、かの河田小龍先生が描いた市街地図があります。その時代は潮江橋もなく、梅ノ辻界隈に住宅地が見えますが、あとは全部田んぼ。ここに土佐電鉄の桟橋線が開通したがが明治37年ですきに、明治40年の地図にはその直線が載っちょります。と、申しましても桟橋に着くまで田んぼしかないですな。途中で乗り降りするヒトは殆どおらんかったことでしょう。
この桟橋は、土佐電気鉄道さんが作ったがやそうです。それまでは、大型船は浦戸湾内で碇泊し、艀で、堀川の方にヒトも荷物も上げよったがですが、この桟橋ができてからはそこが高知の表玄関になりました。当然ですが、まだ、その地図には国鉄の線路や高知駅は存在せず、高知と京阪神、東京を結ぶ公共交通は船やった時代です。その、大都会とつながる桟橋と、高知の街中を繋ぐ公共交通機関がこの電車やったという訳です。桟橋を作ったのが土電さんとは知らんかったですね。