小倉城の秋の朝ばい〔1323〕2006/11/29
2006年11月29日(水)小倉は晴れとるばい
今朝は小倉ばい。
昨夜遅く、宮崎から小倉までたどりつきました。汽車で5時間かかるがですね。ちっくとコタイました。九州も広いですね。が、しかし、今朝も頑張って小倉をたつくって来ちょります。
小倉でまず思い出すのは「無法松の一生」。あの、村田英雄さんが歌うた名曲のフレーズが、前奏から頭の中でグルグルまいよります。
小倉生まれで 玄海育ち~ 口も荒いが 気も荒い~ というやつですな。
頭の中でそのメロディーを奏でながら、小倉駅前から小倉城界隈をたつくってきました。小倉城は、戦国時代に毛利さんが築城したのが最初みたいですが、関が原の後、あの細川忠興さんが入国してきて、ここに大きなでっかいお城を築いたそうです。あの細川ガラシャさんのご主人。
その後、細川さんが熊本へ転封になった後、明石から小笠原忠真さんがやってきて主となり、家光将軍から「九州諸大名監視」という任務を帯びちょったとか。ここは九州の街道が集中する交通の要衝ですきに、幕府も重要視しちょったがですな。
で、天守閣は天保の時代に火災で焼失し、昭和34年に再建されたががご覧の天守。今、何やら工事をしよりました。松の木の向こうの天守閣、わかりますでしょうか。大きい大きい天守閣ですが、細川忠興さんがつくったやつとは姿形がだいぶ違うらしいですね。再建当時はあんましそんなことにこだわる時代やなかったがでしょうけんど、せっかくやき出来るだけ元の姿に近づけてもらいたいところ。
ひまわり太郎が立っちゅうとことのレンガ造りの門は、旧第十二師団司令部の正門やったそうで、明治31年に作られたもの。明治32年から三年間、第十二師団の軍医部長を務めたのがかの森鴎外さんで、この門を通って通勤しよったそうです。
ここ小倉城址には立派な八坂神社も鎮座され、今、紅葉がなかなか美しい風情。
無法一代 涙を捨てて 度胸~千両で生きる身の~ 男一代 無法松~