県立武道館 正門〔132〕2003/08/26
2003年8月26日(火)曇り
昨夜は、突然の夕立ちと雷でビックリしました。高知市周辺では、しばらくピカピカゴロゴロしてましたね。でも、すぐに雨は上がり、涼しい風が吹き抜けて気持ちの良い夜になりました。
今朝は、鏡川を遡行、柳原橋から北上して高知城をぐるりと周り、江ノ口川沿いに走ってきました。写真は、高知城の西にございます「高知県立武道館」の正門。由緒正しそうでしょ?
それもそのはず、この門は、140年以上の間、土佐の国の様々な変遷紆余曲折を当事者として眺めて来た、とても歴史的な門なのです。
最初は、土佐藩の藩校(藩士の教育施設)「文武館」の正門でした。幕末の1862年、それまでの藩校であった「教授館(こうじゅかん)-現土佐女子高校の場所に所在-」に代わって、激動の政情に対応できる人材を教育する為に作られた学校です。
そして、1865年、「致道館(ちどうかん)」と改称されますが、1872年(明治5年)に廃止されます。しかし、校舎の一部は県庁にあてられました。
1874年、この県庁に「陶冶学舎(とうやがくしゃ)」という教員養成機関が併設されることになり、この門は、その正門となります。この陶冶学舎は、1877年に「高知師範学校」と改称して現在の県庁の敷地に移転していきます。この場所に残った県庁も、1884年には現在の場所に移転していきました。
そして、この場所は、「高知刑務所」となったのです。この門は、もちろん刑務所の正門になります。その時代が長く続き、ひまわり太郎が中学生の時(1976年)に、刑務所は高知市布師田というところへ移って行きました。ここは、「高知県立武道館」として、高知の武道の中心地となりました。
この門は、もちろん、その「正門」です。