田村城跡、細勝寺跡、お月様〔1302〕2006/11/08

2006年11月8日(水)雲ひとつ無い青空
これ以上ないくらい晴れちゅう高知。けんど気温はこの秋一番の冷え込みですな。どうやら6℃くらいまで下がったようで、今朝の挨拶は「おーの、冷やいねえ」でございました。
今朝はトウから南国。南国工場から南へ行きますと高知空港。高知空港の北西部に隣接して「田村城跡」というのがあります。だいぶ前のにっこりでもご紹介しました。今は城八幡の小さな祠が残るのみですが、ここに、室町時代の土佐の政治の中心がありました。南北朝の動乱期に足利方で活躍した細川氏は、室町幕府の時代になりますと管領として大きな権力を握ります。
四国もその統治下に置き、ここ土佐にも一族を守護代として送り込みます。細川頼益さんが1380年頃にここへ守護代として赴任、田村荘に大きな居館を設けて政治を行ったのが田村城の始まり。今朝の高知新聞に、縦横120mの内堀に囲まれた大きな館であったという調査結果が掲載されちょりましたので、ご覧になった方もいらっしゃるんぢゃあないでしょうか。
中世の土佐、というと普通の皆さんにはなかなかイメージできんと思います。戦国時代の長宗我部さんとかからが土佐の歴史の表舞台で、地元でもあんまし語られることがないきですな。
さて、この田村城の南西には「細勝寺」というお寺さんがありました。空港拡張のため、平成13年に、もうちょっと北東の方に移転させられちょりますが。この「細勝寺」、もう時代は戦国に入る1501年、4代目の細川勝益さんが初代の頼益さん追善のために建立した「桂昌寺」が、その始まりです。土佐でも各地で戦国武将が割拠し、細川氏の力が次第に衰えよった時代のこと。もう一度その権力を誇示する目的やったがでしょうかね。
その後、江戸時代も中期、5代将軍綱吉さんのお母さんが「桂昌院」というたので、それを憚って「細勝寺」に名前を変えたとか。
写真は、田村城と細勝寺跡の間に立つ記念碑。こんなんがあること、迂闊にも知りませんでした。真っ青な朝の空に、丸いお月様が見えよります。