高知市神田、龍馬脱藩ゆかりの和霊神社〔1299〕2006/11/05
2006年11月5日(日)今日も良いお天気です
暑いくらいの秋の日曜日。今日はお昼から鏡川。
河口から川べりを走ります。
柳原橋の近くでは、同級生の歯医者さんO君が、お子様連れでのんびりと釣りをしよりました。バケツの中にはなかなか立派なイダが。このお子さんの生まれて初めての釣果だそうで、喜んじょりました。
先週のにっこりで、鮎の産卵場を整備しゆう、とご紹介した場所のちょっとだけ上流の河原では、緑地イベントin鴨部というのを賑やかにやりよりました。
地区の人たちの実行委員会がやりゆうイベントで、高知市のまちづくり推進課がその立ち上げに関わったらしいですね。で、知人も関係者として何名かおりまして、暑い中頑張りよりました。
そこから新月橋まで引き返し、今度は南へ。神田(こうだ)界隈をたつくります。11月15日が坂本龍馬さんの誕生日兼命日やったことを思い出し、神田の山懐にある和霊神社を訪ねてみたのであります。坂本家の所領やった水谷山。ここに、龍馬の4代前の坂本直益さんが宇和島の和霊神社を坂本家の屋敷神として勧請したとされる「和霊神社」が鎮座ましましちょります。
写真の上方、お日様に輝く祠がその和霊神社。小振りではありますが、さすがの雰囲気を醸し出しちゅう祠です。
文久2年(1862年)3月24日、龍馬はこの神社にやってきました。そして和霊神社の祠に上がりこみ、水杯でしばし祖霊と語ろうたそうです。龍馬はここで意を決し、そのまま四国山脈を越えて脱藩していったのでありました。
その同じ神社の祠にたたずむと、凛とした気持が漲ってくるのは本当です。
ここ和霊神社を後にし南へ、治国谷の峠を越えて春野町へ。今は神田トンネルというのが出来ちょりますが、今日は旧道の山越え道を走って心臓バクバクしてきました。
春野側へ下りると、そこには「はるのの湯」という温泉があります。ここの露天風呂でくつろぎ、バスに乗ってモンて来た秋の日曜日の午後でございました。
バスは、鏡川近くの「梅ヶ辻」の停留所で降りました。ここで大発見。
過日、9月8日と9日のにっこりで、土電のバス停は「梅ノ辻」、県交通のバス停は「梅ヶ辻」、土電の電停は見る方向によって「梅ノ辻」と「梅の辻」がある、という衝撃の事実を公表しました。今日は県交通のバスやったので、バス内の表示もアナウンスも「次は梅ヶ辻」というものでした。当然ですね。ところが、このバス停で降りて停留所の表示を見てみると大きく「梅ノ辻」と平気で書かれちゅうではありませんか。はりまや橋方面行きの、電車通り西側のバス停は、県交通のやつも「梅ノ辻」。念のため桟橋方面行きの県交通の停留所も見てみましたが、やっぱし間違いなく「梅ヶ辻」。どうぢゃちかまん話ですが、いろんなことがあるもんです。