大阪、銅座跡の幼稚園、適塾〔1261〕2006/09/28
2006年9月28日(木)大阪も結構晴れてまんねん
昨日、夜の新幹線で大阪までやって来ちょりまんねん。御堂筋本町界隈で泊まっちょりましたでんがな。着いたのが遅かったんで、ぐっすりと寝まして、今朝は大阪中心部をたつくってきました。いつもの大阪城界隈です。途中、公衆トイレに寄ってみたのですが、大阪城の周囲の公衆トイレ、早朝はしっかりと門が閉まって入れんなっちゅうがとか、開いちょってもトイレットペーパーは置いてないがとか、ちょっと他とは雰囲気が違いますな。たしかにこの辺りには水色の仮設住居がたくさんありまして、おんちゃんがぎょうさん泊まりこんじゅうみたいですきに。
大阪城の外堀の外側を走った後、淀屋橋の方へ戻ってきました。ここは淀屋橋の近く。松山の道後温泉本館みたいな立派な日本建築がドカンと居座っちょりました。ビルの谷間ですが、なかなかの存在感。ここ、現在はなんと大阪市立「愛珠幼稚園」という幼稚園やそうなのでビックリしますね。正面の門の脇には「銅座の跡」という碑が立っちょります。そう。江戸時代中期に設立された、国内の銅の精錬売買を独占する為の「座」が、ここにあったがです。その立派な建物を、幼稚園に利用しちゅうというのもすごいでんな、ホンマ。
この立派な建物の横には、これまた立派な日本建築が。江戸時代後期に活躍した蘭学者、緒方洪庵さんが、1845年から2年間ここに住み、「適塾」と呼ばれた塾を開いた由緒ある建物です。緒方洪庵さんは岡山の出身で医師ですが、何よりも、幕末から明治維新で活躍する有為の若者をたくさん育てたことで有名ですな。適塾の門下生には、福沢諭吉さんを始めとして橋本佐内さん、昨日の靖国神社に像の立つ大村益次郎さんなどなど、こぢゃんと多彩です。
洪庵さんはいたって温厚な人物やったそうですが、適塾二階の塾生が寄宿した大広間にはたくさんの刀の痕が残されちょって、蘭学を学ぶ若者達の学問や思想にかける熱意が今に伝わっちゅうそうです。なるほど。