乃木希典さんの書「義勇奉公」〔1258〕2006/09/25
2006年9月25日(月)晴れ!
9月も終盤に入ってきました。朝、夜明け前のまだ暗い空を見上げると、南東方向に冬の大三角形が見える季節になりました。オリオン座が美しいです。
朝晩、こぢゃんと涼しゅう、過ごしやすうなったので、歩く人も増えてきました。まだ暗いうちからどっしこ歩きゆう鏡川界隈です。
ひまわり太郎は、土佐史談会という会に入っちょります。その機関誌に「土佐史談」という本がありますが、その、2005年12月号をぼんやりと眺めよりましたら、いっつもひまわり太郎がロイロイしゆう鏡川畔に、乃木希典さんの書による忠魂碑があることが書かれちょりました。知らんかったですね。
柳原橋北詰の少し西、何度もご紹介したフランクチャムピオンさんの記念碑の東に大きな大きな忠霊塔があります。その、向って左の奥に、ご覧の様にひっそりとありました。写真では判りにくいですが、この自然石を利用した碑の上部に「公奉勇」との篆書が刻まれちょります。石が欠けちょりますが、拓本によれば、その欠けた部分には「義」という字が。乃木希典さんが好んだ「義勇奉公」という字やったことがわかります。
現在高知大学朝倉キャンパスがある場所に、陸軍の歩兵第四十四連隊が設立されたのは明治29年のこと。明治37年、日露戦争が始まり、高知県の壮丁で編成される四十四連隊も海を渡って清国へ。乃木希典さんを司令官とする第三軍に属し、旅順要塞攻略戦に参加することになりました。その悲惨な激戦はすさまじく、甚大な被害を被りつつも攻略に成功した戦いは、巷間伝えられるところです。日露戦争での四十四連隊の人的損害は、かなりなものやったそうです。
日露戦争後の明治40年、この連隊が属した第三軍の司令官、乃木希典さんに篆額の揮毫を願い、「義勇奉公」の字を頂いて、この碑を建立したとのことですね。色んなところに歴史の「本物」があるもんです。