土佐橋、有馬神社と水天宮〔1232〕2006/08/30

2006年8月30日(水)曇り
久々に曇っちゅう朝の高知市内。ちっくと降るかも知れません。
昨日、月の瀬橋北詰の水天宮をご紹介しました。そこで、今朝はここ有馬神社をご紹介しましょう。ここは、何度かご紹介しました、土佐橋南詰の神社で、向こうにはりまや橋交差点が見えよります。正面の茶色い建物が四国銀行本店。
こないだうちまで、このアングルからは西武百貨店のビルに隠れてメッソ見えんかった建物ですが、今は西武が更地になっちゅうのでよう見えます。
で、何で水天宮をご紹介した翌日が有馬神社なんでしょうか。それは、この神社、藩政期の古い時期までは水天宮やったきです。今朝、お参りしよりましたら、通りがかりの自転車に乗ったおんちゃんが、「ここは昔水天宮やったがよ。いつの間にか神様が替わっちゅうがぢゃねえ。」と、親切に教えてくれました。そうながです。ここは月の瀬橋北詰と同じ水天宮でして、安徳天皇のお祖母さまの二位禅尼が祀られちょったがです。有馬神社と名前を変えた今でも、水と火の守り神として地域の皆さんに尊崇されちょります。空襲で焼けるまでは、7月20日の縁日には提灯がともされて大変な賑わいやったそうですが、焼失後は寂れちょったそうです。昭和57年、有志によって、地域と消防の守り神として復興、現在の姿になっちゅうそうです。
真横からになっちゅうのでちょっとわかりづらいですが、祠の隣のグレーの碑が、先頃建立された「墨雲洞跡」を記念する碑。ご存知幕末から明治にかけて大活躍した画家で、龍馬に世界のことを教えた知識人河田小龍(かわだしょうりょう)さんの生家がこのしゅっと南に在ったことを記念しちょります。
昭和40年代まで、堀川はここで土佐橋をくぐり、中種の南を流れてはりまや橋を抜け、堀詰まで繋がっちょりました。