役知町、水神社〔1225〕2006/08/23
2006年8月23日(水)今日も晴れて暑いです
今朝もお日様ギラギラのお天気。が、しかし、夜のうちに雨が降っちょりました。朝の市内は雨に濡れ、それが朝日に照らされてキラキラ美しゅうに輝きよります。こぢゃんとキレイな朝。
昨日、鏡川、九反田橋と雑喉場橋の間の稲荷大明神さんをご紹介しましたので、その数十メートル川下、九反田橋から東へ行った南岸に鎮座されちょります「水神社」をご紹介しましょうか。川の向こうにホテル日航高知旭ロイヤル様の大きな建物が見える、ここ役知町。町名の由来は昨日のにっこりでお話しました。
ここは鏡川の河口部で、浦戸湾の水と川の水が混じり合う汽水域。対岸は藩政期には高知城下の台所として栄えた地区で、雑喉場や菜園場という地名から想像できるような賑やかな場所でした。鏡川の北側に並行して堀川が流れ、遠く京阪神からの物資や魚などの生鮮品が、その堀川を遡って、ちょうどあの大きなホテル辺りで水揚げされよったという訳です。
が、当時鏡川に架かる橋は天神大橋だけやったので、対岸のこの辺りはのどかな田園地帯やったことでしょう。昨日お話したように新田開発が行われ、高知城下の食料供給基地の一翼を担うちょったがでしょうか。
この水神社、なかなか立派な建物。近年、氏子さんたちの寄付で建て替えられてキレイになりました。地元の皆さんに尊崇されちゅうがですな。通常「水神社」は、水害などに見舞われた際に、二度とおこらないよう河の神様を鎮める目的で建立されることが多いようです。この水神社さんもそうなんでしょうか。
鳥居の向こうに卵塔が建っちょります。その石には「水神社二百年祭」と刻まれちょりました。裏面を見ると大正時代に建立された卵塔ですきに、それから逆算して江戸時代初中期、1720年頃にお祀りされたのがこの水神社さんの始まりのようです。