筆山、塩屋崎の登り口〔1218〕2006/08/16
沖に台風がふたあつおります。天気予報では明日くらいにガイな雨が降りそう。気を付けましょう。
さて、ここは塩屋崎。鏡川の南に鎮座する筆山の、北東の端っこ。昔この界隈が海やった頃、ここは塩屋崎という岬やった訳です。その岬のトン先に、筆山へ登って行く石段があります。この上は古くから墓地になっちょります。で、何度かご紹介しましたが、この石段登り口に、ご覧に様にいくつかの標柱が立っちゅうがです。
以前にご紹介したのは「楠瀬喜多」さん。
明治期、「民権ばあさん」として名を馳せた人物で、婦人参政権などを訴えて官憲をてこずらせた話は有名。若き日の頭山満など、民権運動の闘士がどっしこ喜多ばあさんの家に転がり込んじょったりしました。
写真左端には「永野修身」さんの名前が見えます。海軍大将、海軍大臣、連合艦隊司令長官などを歴任した軍人さん。東京裁判で、「真珠湾攻撃の責任をとるか」と聞かれ、「もちろん!」と応えた話は有名。「戦争を回避できなかった責任を痛感」していたという昭和22年、審理中に病没。
写真右に、坂本龍馬の父の生まれた里の先祖代々の墓地、と刻まれた標柱があります。龍馬の父、坂本八平直足さんは、ここ潮江村の郷士山本覚右衛門さんの次男で、坂本家へ婿養子としてやってきたのであります。
手前に見える「近森虎治」さんは、明治から昭和にかけて献身的に活動したお医者さん。高知市議会議長を13年もつとめたりもされました。富のために子孫が独立自尊の心を失うことを恐れ、莫大な財産を、すべて、高知市に寄付して恵まれない子供たちの教育に資したという偉大なお医者さんですね。