八百屋町、豪商田村屋、川崎家、燕雀楼〔1191〕2006/07/20
2006年7月20日(木)今日も梅雨空
今日も梅雨空の高知市内。梅雨前線がちっくと下がって来ちゅうみたいですね。梅雨明けは来週でしょうか。
さて、ここは、はりまや橋交差点から少し南西へ行った所。四国銀行本店の別館角の植え込みです。何年か前、高知城下の旧町名の由来を書いた表札が市内あちこちに立てられましたが、これもその一つ。
ここは「八百屋町」と言いました。
藩政期初期、城下町が建設された際には、ここには魚棚(うおのたな)、つまり魚屋さんが集まった町がありました。
それが、1659年にここよりちっくと南へ移設され、替わって八百屋さんがここにずらり並ぶことになったので「八百屋町」。ここの西は呉服商などの豪商が軒を並べた「堺町」で、そこから西は郭中。武士の住む、城下町の中心部になります。
堺町の富商阿波屋に生まれた中山高陽さんは、藩政期中期の、日本を代表する文人画家。土佐の三豪商の一つに数えられる砂糖問屋「田村屋」はここ八百屋町にありまして、幕末から明治、そして現代にいたるまで栄えます。川崎家ですな。代々ご当主は川崎幾三郎さんを名乗り、特に有名なのは明治期に大活躍した二代目川崎幾三郎さん。金融資本家として名を為し、土佐の様々な産業の礎を築いた大人物で、「土佐の渋沢栄一」と称せられる方。川崎家の別邸「燕雀楼」もここ八百屋町にありました。1867年、山内容堂さんと会談するために土佐へやって来た西郷隆盛さんは、その「燕雀楼」を宿舎にしたがやそうです。立派な建物やったがでしょうな。