名古屋城の加藤清正公と大企業〔1178〕2006/07/07
2006年7月7日(金)名古屋はお日様が出とるでよお
今朝は名古屋だぎゃあ。昨日の最終の飛行機で飛んできました。今、大阪へ向かう新幹線の中でこのにっこりを書いておま。
さて、今朝は名古屋へ来たらお約束の名古屋城界隈を走ってきました。さすが徳川御三家、日本三名城の一つと称される名古屋城。デカイです。いつも早朝に走るので、天守閣近くには近寄れません。門が閉まっちゅうがです。天守北側のお堀の向かいからが一番大きゅうに見えます。
徳川の世になって、最初は尾張の中心は清洲城でした。織田信長の本拠やったがで有名な場所。
が、しかし、清洲は水に弱く、周囲の政情も考えて、現在の名古屋城の場所にお城を築くことにしたのであります。で、家康さんの九男義直さんが尾張藩主としてそのお城の主となりました。
ところで織田信長さんと言えば清洲ですが、実は名古屋城二の丸辺りにあった那古野城(なごやじょう)が信長さんの居城でした。1555年に清洲へ移るまで、ここが信長さんの居城。半世紀以上経って、今度は徳川さんが清洲から名古屋へと移ってきたという史実。知っちょりました?
さて、名古屋城は、1610年から、かの加藤清正公を普請奉行として築城が始まりました。熊本城をこさえたがも加藤清正さんですきに、猛将、名将であると同時にお城づくりの名人でもあった訳ですな。名古屋城の大きな天守台を築き上げたのも清正さん。
そういう訳で、お城の南西、遥かに巨大な天守閣を見ることのできるこの場所に、加藤清正公の立派な像が建てられちゅうがですね。カゴメさんが作って、寄贈したがやそうです。カゴメさん、名古屋の会社やったがですね。名古屋城からテレビ塔の方へ走りよりましたら、名古屋市とロサンゼルス市の姉妹都市締結を記念する公園が道路の真ん中にありまして、立派なモニュメントとかがありますが、それにはトヨタ自動車寄贈と書かれちょりました。名古屋は、地元を愛する立派な大企業に事欠きませんですな。