実るほど 頭を垂れる 稲穂に近づいてきました〔1177〕2006/07/06
2006年7月6日(木)曇り空
台風3号はどっちへ行くがでしょうか。気になる週末ですな。
さて、今朝は南国工場。工場の前の田んぼでは、ご覧のように稲穂が頭(こうべ)を垂れ始めました。彼方に土佐くろしお鉄道のごめんなはり線の高架が見えます。
ここ南国市は、かつては二期作で有名でした。ひまわり太郎が小学生の頃の社会の教科書にも必ず載っちょったですね。一年に二度お米が収穫できるのは、高知の高温多湿、日照時間の多さのおかげであると教えられたものです。当時はどんどんと米の生産を増やすことが国の富の蓄積になるということで、じゃんじゃんばりばり増産されよったですね。
同じく小学校の時の社会の教科書に、誇らしげに書かれちょったのが八郎潟の干拓事業。あの広大な干拓地を農地として開発し、アメリカ風の大規模農場にすることで効率的に米の増産を図ろうとしたもの。ところがどっこい、その後、国は減反政策をせざるを得なくなってしまいまして、そのとてつもない規模の開拓事業のとてつもない借金が残されて現在もひこずっちゅう、てな話を聞いたことがあります。
南国市界隈の田んぼでも、減反政策の頃から二期作をする意味が無いなってしまい、どんどんと廃れていったがです。施設園芸とかに宗旨替えした農家も多かったですね。
園芸と言えば、小学校の頃の社会の資料帳。日本全国の様々な産業、物産の生産高とかを円グラフで示しちゅう地図がありました。その中で高知県は、施設園芸の出荷量でダントツでした。「園芸王国土佐」とも書いちょりました。今は昔の物語です。
現在、高知で田んぼを作りゆう農家の皆さんは、「はつなのり」とか「とさぴか」とかの極早稲品種を好んで栽培されます。東北の米とかと、ガチンコで味勝負するがぢゃのうて、新米の速さで勝負するがですな。うまい米の古いがと、そこそこの米の獲れたて精米したてというたら、そりゃあ新米の方がうまいですきに。