浦戸湾の底を歩いてきました〔1179〕2006/07/08
2006年7月8日(土)曇っちょります
今日は高知。昨夜、大阪から汽車でモンて来ました。最近、大阪からの帰りで時間がある場合は極力汽車で帰るようにしゆうひまわり太郎です。
台風3号は、九州の西の方へ行きましたが、梅雨前線の影響で雨に注意せんといかんなっちゅう高知県地方です。けんど蒸せますね。外でちっと体を動かしただけで噴出してくる汗。
ここは浦戸湾。鏡川河口の、鏡川大橋から高知港の方へ行った、堤防の外側。干潮で、ご覧のように洲になって歩いて行けるようになっちょりました。ここは普段は海の底、浦戸湾の部分ながです。珍しいので、行けるところまで行ってみました。
前方の緑の島が丸山台。浦戸湾に浮かぶ島で、神社もあったりしますが、舟ぢゃないと行けんので、ひまわり太郎行ったことがありません。本日、今までで一番近いところで見ることが出来ましたが、一度渡ってみたい島ですな。明治初期にはこの島にも料亭があり、自由民権運動の闘士たちが談論風発、熱い議論を闘わせよったそうです。その頃の、高知市から他所へ行く主たる交通手段は船。この浦戸湾を通って行きよったがですね。で、そのど真ん中にある島に料亭があっても全然不思議ぢゃあない訳です。そう言えば、かの板垣退助さんの家はここからもうちょっと高知港方面へ行った海沿い。こぢゃんと景色のエイところにありました。
この、干潮になると洲になる浅瀬は、昔から浅瀬やったみたいで、ここで海苔を干しちゅう写真を見たことがあります。丸い傘を並べて、のんびりと潮干狩りを楽しみゆう古い古い写真を見たこともあります。高知市民の生活にスッポリと溶け込んじゅう場所やったがですな。