隅田川、清洲橋〔1150〕2006/06/09
2006年6月9日(金)東京は雨が降っちゃっててさあ
今朝は出張で東京。昨日、高知県地方などが梅雨入りした模様との発表がありましたですね。ちょっと遅めの入梅とのことですが、もう、高知は十分降っちょります。5月は立派な梅雨でした。
さて、昨夜、ひまわり太郎は木場に泊まっちょりました。お江戸の下町。周辺は、江戸情緒を感じさせてくれるものだらけで、楽しゅうなってきますな。
今朝もトウから、江戸下町探索ランにでかけちょりました。江戸の町ができる前、この木場のあたりは干潟でした。で、干拓整備が行われ、材木商の木場が置かれたのがこの界隈。
今朝は永代通りを西進、まず、門前仲町から富岡八幡宮にお参りしました。門前仲町は、この富岡八幡宮の別当永代寺の門前町として発展したがですね。伊能忠敬さんが日本を測量に行く際、ここをお参りしてから出発したということで、参道脇に伊能忠敬さんが歩く像がございました。
お参りの後、永代通りを隅田川、永代橋まで出ます。そこには「赤穂浪士休息の地」というのがあります。本所松坂町の吉良邸に討ち入りを済ませた赤穂浪士は、永代橋袂の乳熊屋味噌店で休息し、永代橋を渡って泉岳寺へ向こうたがやそうです。なかなか余裕がありますな。
で、今朝のひまわり太郎はそこから川沿いを北上、写真の清洲橋まで走ります。なかなか立派な橋。橋脚に「昭和三年三月 復興局建造」と書かれちょりました。関東大震災で甚大な被害を受けた東京の、その復興の象徴として建造された橋ですね。「復興は橋より」が合言葉やったがです。で、帝都を代表する隅田川の入り口の橋、永代橋と清洲橋を、思いを込めて建造したがですね。男性的な永代橋、そしてご覧のように曲線が美しい女性的な清洲橋が昭和三年に架けられました。自転車のとすれ違いゆうのがひまわり太郎です。
この橋の近くには、平賀源内さんがエレキテルの実験を行った地、てな標識もありました。江戸下町情緒豊かですな。
帰りは、富岡八幡宮に隣接する深川不動堂にお参りして帰ってきましたが、この門前はなかなか賑やかです。お寺の門前らしいお店が並び、江戸と感じさせてくれます。