夜明け前の追手前高校、時計台〔1058〕2006/03/09
2006年3月9日(木)早朝は晴れちょりましたが今はちくと雲が出ちょります
今日は高知へモンちょります。今日も早朝から鏡川でした。柳原橋界隈をたつくった後、今朝は高知城の方へと足を向けてみたひまわり太郎であります。
高知城の南、県庁前のお堀端を走り、二十四万石博の巨大なニセモノパビリオンづくりが進む丸の内緑地を左に見つつ、追手門前を通って追手筋へ。
まだ夜明け前で、静かな追手筋ですが、ご覧の追手前高校の時計台の灯りが何となくナツカシ優しくて、思わず撮影してみました。時刻は丁度6:00。少しだけ明るんできた空に、6:00を示す時計がボーっと浮かび上がって幻想的です。
この時計台、この校舎ができた昭和6年に、一緒につくられたものだそうです。高知県立城東中学校の時代ですな。よう戦争で焼けんかったもんです。この学校は、明治の初め頃にその前身ができ、明治11年11月19日に「高知中学校」としで独立したのを始まりとします。高知の旧制の中学ではもちろん一番の古い歴史を誇る学校。その後、高知県尋常中学校、第一中学校と名前が変わり、大正11年から高知県立城東中学校となったのであります。ひまわり太郎の父親はそこの出身。
で、戦後、高知県立高知新制高等学校となり、昭和24年から高知県立追手前高等学校となりました。
で、明治期の木造の校舎時代から、やっぱし時計台はあったそうです。その伝統がそのまんま引き継がれてきたがですね。西には高知城が見えるので、この時計台と併せ、緑あふれる追手筋は絵画のような風景になっちょります。
絵画と言えば、以前にも書きましたが、ひまわり太郎は、この追手前高校の追手筋を挟んで南にある追手前小学校の出身。で、廊下からこの時計台を真正面に見ることになるので、時計台と校舎を何十回も写生しました。あの頃、「写生と言えば時計台」やったがです。