武市半平太旧宅、銅板屋根が光り輝きよりました〔1014〕2006/01/24
2006年1月24日(火)快晴!
こぢゃんと快晴。久々に結構冷え込んだ朝になりました。今日は南国工場へ来ちょりますが、来る途中、写真の場所へ寄ってきました。これだけぢゃあ判らんですね。この右手の銅板屋根の古いお家、かの武市瑞山さんの生家なんでございます。五台山の東を、南の山の方へ行った左手。高知市吹井という場所にあります。武市瑞山さんは、武市半平太とも言いまして、幕末の土佐勤王党の首領。土佐の勤王の志士のリーダーとして、その信望を集めた大人物。龍馬との付き合いも深いですね。1865年に切腹を命じられた悲劇のひと、武市半平太さん。
この生家は、築200年をこえる建物で、修築を重ねて現在に至っちょります。なんと、普通の民家で(武市家とは関係ない)、門扉には普通の表札が掛かっちょりました。ここにお住まいのおんちゃんが農作業姿で出て来られましたので、聞いてみますと、この銅板屋根は昔は藁葺き屋根やったそうで、自分で銅板に改築したそうです。
この家の横の高台には「瑞山神社」が祀られちょりまして、その上の段に武市家代々の墓地がありました。その中に、今でも花がきちんと供えられた武市半平太さんのお墓が静かに座わっちょります。武市家では、「半」を名前にいれることになっちゅうみたいで、皆さん「半」がついちょりました。
おんちゃん忙しそうで、敷地内へ入れんかったがは残念ですが、雰囲気を味わうことはできました。武市家は学問好きの家系で、一族郎党皆学問を好んだそうですね。万葉集古義」で有名な国学者鹿持雅澄さん(なんどもご紹介しましたね。高知城に歌碑があります)の奥さんは、武市半平太さんの叔母さんになるそうです。