山内神社、山内容堂さんの座像、やまうちかつとよさん〔1008〕2006/01/18
2006年1月18日(水)ちくと降りゆう高知市内
今朝はちくと降りよります。何と高知市内今朝の最低気温は7.2℃。どんどんと春めいてきましたな。高知城梅の段の梅もほころびはじめたらしいので、そろそろ梅のご紹介を始めんといかんですね。
さて、何度もお話しよりますように、今年のNHK大河ドラマの影響で、ちょっとした「山内」ブーム。観光客も増えました。で、一昨日、十六夜の月の下、山内神社の森をご紹介しましたので、今朝はその山内神社本殿へ行ってみました。写真の建物が本殿。山内家の紋章を染め上げた白い幕がきれいです。
右手の座像は、山内家15代藩主山内豊信(やまうちとよしげ)公、山内容堂(やまうちようどう)の号の方が通りがエイですね、その鯨海酔侯容堂さんの像。写真には写っちょりませんが、右手にはお酒の入った杯を持っちょります。大政奉還が容堂さんの進言通り成し遂げられたことを喜ぶ姿とか。
山内神社は、明治4年に最後の16代藩主山内豊範さんによって、第3代忠豊公から第14代豊惇公を祀る神社として建立されました。お城の下に、初代藩主山内一豊公とその妻、そして二代藩忠義公を祀る藤並神社があり、この写真の場所には、その御旅所があったがやそうです。そこへ山内神社が創られました。
昭和45年、空襲で焼けた社殿が再建された際に、お城にあった藤並神社もここ山内神社に合併され、晴れて初代ご夫妻から第16代まで、歴代藩主が祀られることになったのであります。
ところで高知県人の統一見解。山内一豊さんは(やまうちかつとよ)です。近江国などではヤマノウチカズトヨなどと呼んでおるらしいですが、高知では「やまうちかつとよ」さんでいきましょう。歴史的に見ても、また、山内家の御当主がそう呼んでおられるのから見ても間違いないと思います。