上岡八幡宮の碑、1812年〔975〕2005/12/16
2005年12月16日(金)今日も快晴!
冷やいにゃあ、昨日よりはチックトましぢゃけんど。というのが今朝の高知のご挨拶。
で、昨日のにっこりで、野市町の上岡八幡宮がひまわり乳業南国工場の氏神様ではないか、と書きましたが、やっぱしそうでした。昨夜、南国工場界隈の日章地区の酪農組合忘年会がありましたので、地元の皆さんに確認しました。
大昔、物部川はもっと西が本流やったので、現在の物部川を挟んで、この界隈は一つの地区やったがやそうです。なるほど。
そういった訳で、今朝、あらためましてキチンとお参りしてきました。で、昨日お話しました、安政の大地震のことを刻んだ碑を撮影して参りました。写真右手の細長い碑がそれです。達筆で文字が刻まれちゅうがが判りますでしょうか?
古い古い石(灯籠の跡でしょうか)が転がっちょりまして、その手前に、石でできた鳥を乗せた灯籠が見えます。文久年間につくられたもの。左手前の灯籠には「文化九番歳」と刻まれちゅうように見えます。文久ではないみたいです。もし、文化九年とすれば何と1812年。なかなか歴史を感じさせてくれる灯籠でございますね。1812年で思い出すのはチャイコフスキーの名曲1812年。ナポレオンがロシアへ攻め込んだのを、ロシア軍が撃退したことを喜び、記念して作曲されたド派手な名曲ですね。記念式典で演奏され、曲のクライマックスでは、実際の本物の大砲がドカーンと大きな音をたてることで有名ですな。