岡山城の石垣、吉備の国の悠久〔955〕2005/11/26
2005年11月26日(土)岡山は快晴!
昨日はあれから鳥取県の浦安というところまで電車で行っちょりました。久々に見た日本海はすでに鉛色で、太平洋とは違う厳しさを見せておりました。で、夜、岡山まで帰って来て岡山市内のホテル泊。
今朝はトウから岡山城周辺やら後楽園やらを走ってきました。紅葉が見事。
ここは、岡山城の天守台の石垣の下。
岡山城は、戦国時代、宇喜多秀家の父直家さんが、この丘を根城にしちょった金光氏を亡ぼして入城。
秀家さんの代に、秀吉の意見に従って、ここ「岡山」という丘に大きな大きな城を築きました。1597年までにはその威容が完成しちょったそうです。現在も、その、野積みの石垣が現存しちょりまして、戦国期の石垣としては有数の高さに積まれた姿は臨場感があります。
天守閣は戦後につくられた鉄筋コンクリート製ですので、ひまわり太郎はあんまし興味がありません。それよりこの石垣。大阪城や熊本城みたいにビシっと組まれたものではない、野積みの石垣は歴史を感じさせてくれます。天守閣のすぐ下の部分は、戦災で天守が焼けた際の熱で変色したまま残っちょります。なにより「ホンモノ」の迫力が迫ってきて感動的。
宇喜多氏の後、関ヶ原の寝返りで有名な小早川秀秋さんが城主となりますが2年で亡くなり、その後池田氏が入城して参ります。
秀秋さんの時代に、秀家さんの作った石垣の上に重ねて石垣を積んじょりますが、こぢゃんと「雑」。いかんですね。人間性が偲ばれるといったところでしょうか。
今日は、岡山で仕事の合間、備中高松城の水攻めの蹟や、吉備津神社、吉備津彦神社にお参りしてきました。すごいですね。
神社の建物の美しさには息をのみました。吉備の国に漂う悠久さは、土佐の悠久さとは桁が違います。昔のヒトの美に対する感性、情熱はすごいです。