南国市、田村城址と大きな銀杏〔948〕2005/11/19
2005年11月19日(土)晴れちょります
今日も大きな銀杏の木です。ここは南国市。高知空港の滑走路の下をくぐる道路を、北に出てすぐ。コイン精米所の横に公民館がありまして、その裏手。お宮さんがあった跡があります。が、今はご神体も無い社が鎮座ましましちょります。
何の変哲も無い場所に見えますが、実はここ、中世の土佐の中心地。田村城のあった場所です。
高知の人たちは、幕末とか長宗我部氏~山内氏の歴史については熱心ですが、中世の土佐がどんな時代であったかあんまし興味ないみたいです。
南北朝の後、足利尊氏さんによって、四国は配下細川一族の支配下に置かれることになりました。14世紀半ばからは管領(かんれい)細川頼之さんから続く系譜が守護となります。で、直接土佐を統治するには現地に守護代を派遣せんといかんので、ここに一族の細川頼益さんを入国させます。細川頼益さんは、この場所の田村城に居を構え、一族や家臣をこの界隈に住まわせて守護町を形成しちょったのであります。戦国に活躍する土佐の大名は、この細川氏の家臣や協力者やった人たちがほとんどなんですね。長宗我部さんも例外ではありません。
室町時代は、ここが高知県庁やった訳です。城域の南部や屋敷群の多くは、現在、高知空港の滑走路の下。本丸屋敷のあった場所は、この祠跡の辺りらしいです。
公民館の前に、「田村城址」という小さな標柱があり、ちょびっとだけ細川頼益さんに触れた案内看板が立っちゅうのみ。土佐の中世は、現代土佐人にとって暗黒なのでしょうか。