大鳴門橋、大阪、牛乳販売店、源義経さん、河野通信さん〔927〕2005/10/29
2005年10月29日(土)雨が降りよります
今朝は、弊社牛乳販売店さんの皆さんと、大阪へ研修に出掛けよります。大阪で、「菜食健美」をたくさん宅配して下さりゆう、大きな大きな牛乳販売店様へお邪魔しての研修。
今、牛乳の宅配サービスは、熾烈な競争の時代に入っております。大阪などの大都市圏では、非常に激しい競争が繰り広げられよりますが、本日お邪魔するお店は、その中でドンドンと業績を延ばしよります、素晴らしい販売店様なのであります。今年、菜食健美を通じて縁ができ、ひまわり太郎もこの春お邪魔して勉強してきました。私だけぢゃあもったいないので、今回はご希望された販売店様も一緒。楽しみですね。
写真は、先ほど通過した「大鳴門橋」。徳島県の鳴門と淡路島の間の鳴門海峡に架かる大きな橋。淡路島を抜け、明石海峡大橋を渡ると本州です。
早朝高知を出て、坂出市の弊社香川支店で松山香川組と合流。高松から徳島道で海岸線を南下、鳴門からご覧の鳴門海峡を渡り、淡路島から明石へ、そして大阪へと向います。
高松から本州へのルート、これ、源義経さんが平家との合戦にやって来たルートを逆にたどった道筋ですな。壇ノ浦で平家が完璧に敗北する合戦。
ところで、愛媛の史家の間では、この壇ノ浦の合戦の最大の功労者は、伊予に本拠を置く河野通信さんであったと言われちょります。と、申しますのは、平家方の水軍の主力部隊を、伊予方面で釘付けにし、義経がやって来たときには平家水軍の主力が不在で、そのため大敗北を喫することになったからです。
愛媛の史家の皆さんは、これは偶然ではなく河野軍と義経軍の連携プレーで、成功した最大の功労者は河野通信さんであったというのであります。
今年の大河ドラマでは、その辺りの事情が無視されちょってけしからん、と、憤慨しておりました。