山田橋、刎橋、江ノ口村〔911〕2005/10/13
2005年10月13日(木)秋晴れ
今日も秋晴れの高知県。心地良い朝です。
今朝は江ノ口川方面まで足を延ばしてみました。ここは「山田橋」。手前のコンクリートで出来た趣きのある形をした橋が「山田橋」で、それに並行して架けられちゅう歩道の橋から撮影してみました。
川を挟んで右手が山田町。ご存知、藩政期初期に山田城の城下町を移設してきて作られた町です。このすぐ向こう側から、南に向って横堀(新堀川)が掘られちょります。その、横堀に枝分かれする部分には「刎橋(はねばし)」という名前の小さな橋が架かっちょります。
横堀には、新町方面に用水を供給する底井流があったので橋脚が立てられず、また船の往来も激しかったので、両側から大木をはね出す工法で架けられちょった橋。今は普通の小さな橋ですが、ここに通る予定の大きな道路工事の関係で、もう既に通れんなっちょります。写真中央部分には、大きな橋が架けられることでしょう。
藩政期の山田町には番所があり、また、土佐藩の獄舎もあったので「牢ノ町」なんぞという恐げな名前でも呼ばれたそうです。
川の左手は、藩政期は江ノ口村の一部。江ノ口村はこぢゃんと広く、この界隈は、その東端の部分でした。城下から東や北へ向う街道は、ここ山田町の番所を通り、山田橋を渡って、江ノ口村を抜けていきます。「江ノ口」という名前で想像される通り、ここには昔浦戸湾が入り込んでおり、比島(ひじま)や洞ケ島(ほらがしま)といった島があったそうで、その島の名前は現在の町名に残っちょりますな。