やっぱし偉い!牧野富太郎先生〔90〕2003/07/15
2003年7月15日(火)晴れ時々曇り
爽やかな朝になりましたね。ひまわり太郎は今朝も鏡川沿いを走ってきました。写真は、鏡川に架かる潮江橋から東方面を望んだ景色です。朝日に映える高い建物はマンションの「トップワン四国」。遥か向こうに、ひまわり太郎がよく駆け上がる五台山が見えてます。
以前にも書きましたが、五台山の頂上には「牧野植物園」がございます。土佐の生んだ世界的植物学者 牧野富太郎博士の採集した植物や植物標本、業績を讃えた記念館がありまして、見応えのある施設になっちょります。
牧野富太郎先生は1862年、佐川村で生まれました。小学校を自然退学して植物採集に熱中、22歳のときに東京大学植物学教室を訪ね、標本や書籍を自由に見ることを許してもらいます。独力で「植物学雑誌」や「日本植物志図篇」を発行して認められていきますが、28歳の時に、組織の慣行を破って自由に振舞い過ぎたということで、東京大学植物学教室への出入りを禁止されてしまいます。
しかしその後も独力で学問を進め、世界的な植物学者になります。採集した植物は50万種、えがいた植物画は1700点、そして、命名した新種の植物は2500種にのぼります。なんと、日本の植物の4分の1は富太郎先生が名付け親になります、すんごいですね。でも、先生が博士号を取得して理学博士になったのは65歳のこと。肩書きと実績は関係ないということですね。
因に富太郎先生は音楽が好きで、高知で最初の西洋音楽会を、1892年、30歳の時に開催しちょります。うーん、奥が深い。