東九反田公園の工事、完成間近〔889〕2005/09/21
2005年9月21日(水)晴れ
今朝方は雨になっちょりました。が、夜明けの頃から雨はあがり、強い南国の日差しが照りつけ始めました。今日も暑うなることでしょう。
ここは今朝の東九反田公園。何度も何度もご紹介した、幕末から明治初期にかけてこぢゃんと重要な役割を果たした場所にある公園。
8月には、改修工事中のこの公園でラジオ体操する光景を何度かお届けしましたね。その改修工事もいよいよ大詰めです。看板によりますと、工期は10月7日まで。かなり出来上がって来ましたね。「憲政之祖国」の大きな記念碑からこちらは子供たちが遊べるゾーン、向こう側はこの地の歴史を紹介したりするゾーンになるみたいです。完成が待ち遠しいですな。
ここ九反田は、藩政期初期の頃は四方を川で囲まれた場所で、田んぼが九反しかなかった中州みたいな場所やったそうです。それが、西の朝倉町との間の堀川が埋められて地つづきになり、土佐藩の重要な物流拠点、海の表玄関として栄えることになりました。
慶安五年(1652年)に書かれた城下の絵地図を見てみますと、成る程九反田の周囲を広い川が取り囲んじょります。川幅は、現在の鏡川は今よりずっと狭く、そのかわり堀川が結構な広さで縦横に走っちょりますね。その頃は、今の江の口川の方が鏡川より広い川ですな。そんでもって「大川」。現在の大川筋はそこから来ちゅうという訳です。市内をたくさんの水路や堀が走り、水郷のような趣きですね。現在の堀川、浦戸湾から西へ入り込んでくる川が「縦堀」、かるぽーとから江の口川に向けてつながっちゅう現在の新堀川が「横堀」、この横堀が、藩政期初期にはまっすぐ南へも走って鏡川につながっちょったがです。