介良城址、源希義さん、ささりんどう〔871〕2005/09/03
2005年9月3日(土)晴れ!
今朝も晴れ。昨夜は結構蒸せました。思わずクーラーをかけてしまいました。9月と言うても油断したらいかんですね。
さて、今日も南国工場へ来ちょりますが、途中、介良(けら)へ寄ってきました。高知市東部、南国市との境にある町で、ひまわり太郎子供の頃は長岡郡介良村でした。
この川は介良川。向こうに聳えるこんもりした山は通称介良富士。右手の鬱蒼とした小山の向こうには、酒造メーカーなどに尊崇されちゅう、由緒ある朝峯神社が鎮座しちょります。この右手の、竹が伸びて鬱蒼とした小山、これは介良城址なんですね。
横山城とも言います。横山氏は、武蔵横山氏を発祥としますが、土佐へやって来て地頭となり、戦国の世にはここに城を構えて勢力を張りました。しかし、長宗我部元親のお父さん国親に破れ、この界隈も長宗我部傘下になりました。
2003年12月13日、ひまわり太郎はこの介良城址を発見しました。ここからもうちょっと川縁を右手へ行き、山へ少し入ったところに源希義さんの卵塔があるので、それを見に寄ったときに、こんなところにお城があったことを知ったがです。看板もなにも無いので、普通は気付きません。
源希義さんは、源頼朝の弟で義経のお兄さん。平治の乱に破れ、3歳で源家ゆかりの荘園があったこの地にやって来て、頼朝挙兵までこの界隈に住みました。そして、挙兵に際して、現南国市の年越山で無念の最期をとげちょります。
頼朝や義経の兄弟が高知に住んじょったことはあんまし知られちょりませんね。介良の地元では、最近、そのことを広めようという動きがありみたいで、この橋にも源希義さんの家紋、ささりんどうの絵が取り付けられちょりました。左下のやつがそれです。