墨雲洞、河田小龍、堀川、坂本龍馬〔860〕2005/08/23
2005年8月23日(火)曇り
台風11号が太平洋沖から日本列島をうかがいよります。不気味ですな。気を付けましょう。
今朝の写真は、はりまや橋から東へ少し行った「土佐橋」から、東の方向を撮影したもの。土佐橋は、昭和40年代までここを流れよりました堀川に架かっちょった橋で、はりまや橋と同じく今でも欄干だけが残されちょります。写真の、向こうに向かって延びる細長い公園は、昔の堀川を埋め立てたもの。現在の堀川は、この向こうのかるぽーと前で終わり、南北の新堀川とつながっちゅうだけです。何度も言いますが、やっぱしここの川を復活させてもらいたいですね。
ここからはりまや橋の下を抜けて新京橋まで。水の有る景色は心を豊かにします。
さて、写真右手の記念碑は、河田小龍さんの生誕地(墨雲洞)が、このすぐ南にあったことを示す碑です。河田小龍さんのことも、このにっこりで何度かご紹介しましたね。幕末から明治にかけて活躍した画家で、進取の気性に富んだ啓蒙家でもありました。
ここ墨雲洞で、アメリカから帰国した中浜万次郎(ジョン万次郎)と寝食を共にして、世界の情勢を聞き書きした「漂巽紀略(ひょうせんきりゃく)」を書いたのはあまりにも有名。
その後、築屋敷の仮住まい(このあたりの事情は、2003年10月24日のにっこりに詳しゅう書いちゃあります)で、訪ねて来た近所の坂本さんちの龍馬くんに、万次郎から聞いた世界の情勢を語ったりして日本の歴史を動かしたがです。すごい人物でありました。