三毛別羆事件から110年〔8274〕2025/12/10
2025年12月10日(水)晴れ!
昨日の地震。幸いにも犠牲者は出てないようですが、この寒い時期に被害に遭われた皆さんに、心よりお見舞い申し上げます。僕らは、いつ、大地震が発生してもおかしくない島に住んでいることを忘れてはならない。必ずやってくる、大地震。
さて。今年は全国で熊による被害が頻発してます。もう寒くなって冬眠の季節かとも思うけど、油断はできません。日本史上最悪の熊害とも言われる「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)」は、1915年12月9日に第一の襲撃事件が発生して2名が犠牲、翌10日に胎児を含む5名が犠牲となる第二の事件が発生したもの。12月14日に猟師の山本兵吉によって射殺されるまでに7名がヒグマによって殺された、最悪の熊害事件でした。色んな教訓を後世に伝えることになった、羆害事件。
僕は、吉村昭「熊嵐」で、この事件の詳細を知りました。事件の経緯は、ダイヤモンドオンラインのこの記事に詳しいけど、概略を書いておきます。
現場となったのは、北海道のここ。六線沢と呼ばれた15軒の開拓集落。11月からヒグマが出現し、トウモロコシなどに被害が発生していた。
そして12月9日。地図で照合するとこの辺。ストリートビューにはキツネが写ってますね。ここにあった太田家で、女性と子供が襲われて犠牲になる。女性はヒグマが引き摺って山へ。そこで人間の女性の味を覚えてしまったと思われます。翌日10日、捜索隊は女性の遺体の一部を発見するが、それはヒグマが食糧として雪の下に隠そうとしていたもの。熊を見つけたマタギが発砲するも、失敗。
その晩、太田家で通夜を執り行っていたが、そこにそのヒグマが再び出現。参列者たちは逃げ惑い、何とか犠牲者は出なかった。
20分後、太田家から500mほど下流の明景家にそのヒグマがやってきて、襲いかかる。そして明景家にいた11名のうち、妊婦を含む5名が犠牲になってしまう。その場所は、おそらくはこの辺り。
その後、ヒグマは討伐隊に目撃されたりするも、なかなか射殺に至らない。そして12月13日夜、氷橋(現在の射止橋)で警備についていた1人が、切り株が動くのを見て熊だと気付く。鉄砲を撃つも、クマは姿を消す。
翌日。鉄砲で傷ついた熊の足跡と血痕が見つかり、討伐隊と、それとは別行動の猟師山本兵吉が山へ入り、ここから山へ入ったところので山本が羆を射殺、事件はやっと終息したのでした。
最初の犠牲者が出た家の少し上流に「三毛別羆事件復元地」があります。手作り感満載の説明版が、これ。この手作り感が、却って当時の雰囲気を伝えてくれます。開拓集落の家は簡素なもので、3m近い羆にとっては破壊するのも簡単だったでしょうか。
三毛別羆事件から110年。まだ熊の被害は続き、共生ができていません。
