DF50の運転席〔8242〕2025/11/08
2025年11月8日(土)晴れ
ここは、以前にも一度ご紹介したことのある「四国鉄道文化館」。JR予讃線の伊予西条駅に隣接している施設。ここは「北館」で、「南館」、「十河信二記念館」「観光交流センター」と合わせて「鉄道歴史パークinSAIJO」。こないだ行った大宮の鉄道博物館に比べると小さい小さい小さい鉄道博物館やけど、ここには僕のお気に入りが展示されてます。そう。前回もご紹介したDF50の1号機。ここでおさらい。
かつての四国には、蒸気機関車ばかりが走ってました。電化されてなかったので、蒸気機関車ばかり。戦後、蒸気機関車が引退していく中で、電化が進んでいない区間ではディーゼル機関車が必要となり、研究開発が行われる。昭和28年に登場したのが「DD50形」で、そして遂に昭和32年、「DF50形」が登場したのでした。電化されていなかった四国は、鉄道のディーゼル化を進めるモデルとなり、「DF50」が配備されたことで四国の「無煙化」が進展。昭和30年には9.9%であった無煙化率が、昭和36年には80%。そして昭和44年に、蒸気機関車は四国から完全に姿を消しました。
その立役者が、DF50。
DF50は、ディーゼルエンジン直結の発電機で発電した直流電力で走る機関車。新三菱重工がスイスのズルツァーと技術提携して製作したエンジンのものが0番台で、ドイツMAN社と川崎重工、日立製作所が技術提携して製作したエンジンの機関車が500番台。四国には0番台が多く採用され、その独特のポンポン音で、鉄道ファンを楽しませていたのでした。こんな動画やこんな動画が残ってます。
そんなDF50も、後継機種に取って代わられるようになり、客車牽引は昭和58年に終了、最終貨物列車を引っ張ったDF50 34が昭和60年1月に廃車となって、すべての役目を終えたのでした。
その後。準鉄道記念物に指定されていたDF50の1号機は、なんと昭和62年に車籍復帰し、多度津工場で動態保存され、2007年にここ、伊予西条の四国鉄道文化館に移送されて、静態保存扱いで展示公開されるようになったとのこと。
写真は、入って触れるDF50の運転室。触れるのがすごい。「静態保存」になったので、もう動かされることはないんだろうか。
因みに、YouTubeには、この1号機が、1997年3月にJR四国多度津工場で構内運転する動画が上がっています。これが最後の動く姿なんだろうか。独特のエンジン音がとても魅力的。
ウィキ見ると、「静態保存の状態から動作・運用可能な状態に復元することも行われる」と書いてあるので、いつか、また、このDF501号機を動かして、あのズルツァーサウンドを聴かせて欲しいねー。
DF50については、もう少しネタが続きます。それはまた今度。
